平成12年度春の企画展
「Modeling World-帆船模型の世界-」出品資料
番号 |
船名 |
縮尺 |
年代 |
国籍 |
制作者 |
1 |
捕鯨船 |
1/60 |
18世紀 |
オランダ |
大柳昌造 |
この船は当時ヨーロッパ水路で重要な商船として活躍した「フルート」という船型で、平底で丸形船尾が特徴であった。一般の商船に比べて相当幅が広いが、速度よりも頑丈さ、荷物の積載力が重視されたためと考えられる。 捕鯨船が鯨を発見すると、ただちにホエールボートが降ろされ追跡が開始される。ボートには数人の屈強な男たちが乗り込み、銛をふるって鯨と戦った。当時はボートを4〜5艘積んでいたようである。 |
|||||
2 |
新日本丸 |
1/80 |
1984年 |
日本 |
小林 高 |
運輸省の航海訓練船として、海の男たちの養成に活躍している。昭和59年9月に竣工した世界最新の純国産の大型船。 全 長 110.09 m 最 大 幅 13.80 m 主檣高 55.52 m 総トン数 2,570 t 帆枚数 36枚 帆総面積 2,760u 乗組員 70名 実 習 生 120名 |
|||||
3 |
ビーグル[Beagle] |
1/64 |
1817年 |
イギリス |
間宮昭佳 |
1817年建造のパーク型イギリス軍艦。長さ28メートル、積載量約240トン、砲8門搭載最初は沿岸警備船として使用されたが、後に科学調査探検船に改造、大砲を取り外し、南太平洋の珊瑚礁を乗り切るためにミズンマスト(後檣)を追加した。 乗船科学者の中に有名なチャールズ・ダーウィンがいた。ダーウィンはこの航海を「ビーグル号航海記」に残している。 |
|||||
4 |
咸臨丸 |
1/50 |
1857年 |
日本 |
間宮昭佳(山本 一 氏蔵) |
徳川幕府が海軍を創設するためオランダに発注した船で、1857年(安政四年)に造られた。原名をヤバン号といい、わが国に回航された後は汽船の伝習にあてられた。 万延元年(1880年)に遣米使節の護衛艦に選ばれ、木村摂津守、勝海舟、福沢諭吉ら96名と米国軍人ブルックスとその部下10数名の帰国者を便乗させて渡米した。日本人の手で太平洋横断に成功した最初の軍艦としてあまりにも有名である。 |
|||||
5 |
武装ランチ |
1/16 |
1803年 |
イギリス |
間宮昭佳 |
ランチとは大型のボートのことである。通常軍艦に搭載されていて、人員や物資の輸送にあたったり、凪のときには本船の曳航などに使われた。 この模型のように小形のカノン砲を搭載することもあった。この場合武装ランチとして周囲のパトロールをしたり、敵前上陸などの勇ましい使われ方もした。模型の船体外板は三重張りになっている。 |
|||||
6 |
サンタマリア |
1/45 |
1492年 |
スペイン |
山田泰仙 |
コロンブスの第1回探検航海の旗艦として知られている。黄金の国ジパング(日本)を目指す途上、西インド諸島付近で座礁して解体されたため、帆船史上もっとも有名な船でありながら、要目など不明な点の多い船である。 セールに赤いクルスが描かれていたこと、3本のマストと5枚の帆があったことなどが航海日誌からわかる程度で、大きさその他詳細については不明である。 |
|||||
7 |
H.M.S.ビクトリー |
1/78 |
1765年 |
イギリス |
山田泰仙 |
ネルソン提督率いるイギリス艦隊の旗艦として知られ、1805年のトラファルガー沖海戦において、フランス・スペイン連合艦隊を撃破した。 現在もポーツマスの海軍特設ドライドッグに栄光の記念艦として現役のまま保存公開されている。 |
|||||
8 |
カティ・サーク |
1869年 |
イギリス |
山田泰仙 |
|
カティ・サーク号は、1869年ティー・クリッパーとして建造された。ティー・クリッパーとは、中国やインド・セイロンといった産地から茶を運んでくる快速商船のことである。なかでもカティ・サーク号はスピードにすぐれ、17ノット(時速約31キロ)で航行したという。帆船時代の最後を飾った同号は、現在ロンドンのグリニッジにある国立海事博物館に保存されている。 |
|||||
9 |
エスメラルダ |
1/100 |
1952年 |
チリ共和国 |
中島 勉 |
1952年スペイン海軍練習船として建造された。“ファン・デ・アウストリア”と呼ばれていたが、1954年にチリ海軍が購入し、“エスメラルダ(エメラルド)”と改名された。 スペインの“ファン・セバスチァン・ド・エルカノ”とは姉妹船。最前部のマストに横帆、後3本に縦帆のある4檣バーカンティンで、その優美な姿は世界中の帆船ファンの憧の的。 |
|||||
10 |
ラ・クローン |
1/100 |
1636年 |
フランス |
間宮昭佳 |
クローン号は、設計から建造まですべてがフランス製で、世界で最も美しい帆船の一つである。全長40メートルと当時としては大型艦であり、「黄金の悪魔」と恐れられた“ソブリン・オブ・シーズ”に対抗して建造されたと伝えられる。 精巧な装飾を施した船で、船尾には金張りの木彫りや、寓話に出てくる人形で飾られており、艦首にはヘラクレスがヒドラ(大蛇)を退治する場面の像があった。 |
|||||
11 |
ロワイヤル・ルイ |
1/90 |
1692年 |
フランス |
山上清一 |
3層の砲甲板に120門の大砲を搭載するフランス・ルイ王朝時代の第一級戦列艦。1692年ブレストで進水。当時、最大最強の軍艦であった。特に第1砲列(下層砲甲板)の両舷計30門の48ポンド砲は、巨大な弾丸を発射し、近接戦では大きな威力を発揮した。 本艦は進水の100年後、進水と同じブレストで改装された。その改装は、艦尾の回廊を取り去り、全体が低く平らになった。帆装はスプリットスルがなくなって3枚のジブにかわるなど、全般に近代化が施された。 |
|||||
12 |
ル・ミラージュ |
1/25 |
フランス |
山口 錬 |
|
「ミラージュ」とは、フランス語で「蜃気楼」あるいは「幻影」のことである。フランスのブルボン王朝・ルイ14世時代を代表する戦列艦。3層74門の砲列を備える威容と、船首・船尾の装飾が豪華なことから人気がある。当時のフランスは、造船技術が優れており、ミラージュも船体の幅が広く喫水線が浅くて、操船が容易であった。本模型は、未だ制作途中であるが、完成時は全長1.7mに達するという大作である。 |
|||||
13 |
インディペンデンス号 |
1/646 |
1815年 |
アメリカ |
中田清美 |
独立戦争に間に合わなかった新鋭戦艦 最初、このボトルに入れる予定ではなかった。制作中にだんだん欲が出てきて、予定のボトルに入らなくなり、入手したのがこのボトルであった。 ところが、200本位の糸がボトルの口から出、フォアマストの補助帆等に糸が絡むなど、大変な苦労であった。結局、手掛けてから完成まで2年を要した。 |
|||||
14 |
ピェテン・ポール号 |
1/525 |
1603年 |
スウェーデン |
中田清美 |
北欧の進歩的な帆船として有名である。 この船は、17世紀初めにコペンハーゲンで建造された大型ガレオン船で、北欧では特に進歩した船であった。船倉の高さは他の同時代船よりも高く、貨物積載量も多く、甲板はより頑丈に造られていた。 オランダ式の設計で、船体は白鉛・アスファルトと硫黄を混ぜたニスで塗ってある。この混合物は、木材の生命を奪う酸素を分泌する船食い虫の仲間に毒性を持っていた。 |
|||||
15 |
カモメとラトルスネーク号 |
1/625 |
1780年 |
アメリカ |
中田清美 |
夜の出航を見送るカモメ 本艦は、設計・建造ともに米人の手によってなされた最初の艦である。 仏艦隊は米人とともに、海軍大将トーマス・グレーブスが指揮する英国艦隊と戦った。 本ボトルは、1803年プレブル提督指揮の下、対トリポリ攻略の命を受けて地中海へ出航するときの様子を再現したものである。ラトルスネーク号は、地中海での任務遂行後、1817年10月に解体された。 |
|||||
16 |
ストラ・アマランス号 |
1/500 |
1630年 |
スウェーデン |
中田清美 |
行方不明となっていたアマランス号の捜索に出港したストラ・アマランス号。数年後に海上を漂っているアマランス号を発見したときには、乗組員500名の半数以上が壊血病になっていた。以後、スウェーデンは壊血病の解明に力を傾けるようになったという。 |
|||||
17 |
アマランス号 |
1/500 |
1625年 |
スウェーデン |
中田清美 |
航海に出たまま帰港したかったため詳細は不明である。乗組員全員が壊血病によって死亡したためと伝えられている。 |
|||||
18 |
ストラ・クロナン・アマランス号 |
1/625 |
1665年 |
スウェーデン |
中田清美 |
アマランス号、ストラ・アマランス号の姉妹船。 長い航海では、病気が暴風雨よりも大きな脅威であった。この病気でアマランス号、ストラ・アマランス号が敗れている。 スウェーデンの船員の1週間の食糧は、18.9lのビール・1.8sの塩漬牛肉・170gのバター・340gのチーズであったが、ビタミン類が決定的に不足していた。ストラ・クロナン・アマランス号はそれらの対策として、船上で芥子菜とレタスを栽培し、ビタミン不足による病気の治療法を試みた。結果見事に妹船たちの敵討ちを果たし、壊血病を解決した船として現在に名を残している。 |
|||||
19 |
キャップ・シップ |
中田清美 |
|||
勝手ながら”キャップ・シップ”と命名しました。ボトルのキャップに今回初めて挑戦してみましたが、大変な苦労でした。 第1、キャップに穴を開けるためにはどうすればよいか? イ、ガラス屋さんに相談したらできませんと断られ、 ロ、墓石屋さんにも断られ、 ハ、会員の清藤さん(歯科技師)に相談したら、お見事にできたぁ〜!! 第2、船体の底から工具が入るために、マスト1本立てるのに2週間もかかった。 第3、ロープを切るための工具作り、なにせ、口径(内径)が僅か5ミリという狭さです。 とにかく、今回は形だけができました。 |
|||||
20 |
キャップ・シップ |
中田清美 |
|||
21 |
トーマス・W・ローソン号 |
1/660 |
1902年 |
アメリカ |
中田清美 |
縦帆を象徴とする装備の帆船 ボストンのM・クローニン・シールドが設計したもの。船体の流体力学的特質を最大限利用できるように設計され、時代が変わっても改良されることもなかった。 当初石炭を運搬する予定であったが、テキサスから東部海岸へ石油樽を運搬する役目に転用された。1907年ヨーロッパ航路へ回された後、イギリス海峡で暴風に遭い、シリー諸島沿岸沖で難破した。生存者は、30名中2名に過ぎなかった。 縦帆のおもな利点は、僅か15名で帆を操ることが可能であった点であるが、17世紀の船より重く操船しにくいという乗組員達の抗議により、僅か6年の船歴で退役した。 |
|||||
22 |
テーピン |
中田清美 |
|||
23 |
テーピン |
中田清美 |
|||
24 |
イギリス戦列艦 |
肴倉 忠 |
|||
25 |
フランスのマグロ漁船 |
肴倉 忠 |
|||
26 |
働く船大工達 |
肴倉 忠 |
|||
27 |
バイキング船 |
肴倉 忠 |
|||
28 |
サン・ファン・バゥティスタ |
肴倉 忠 |
|||
29 |
オランダのボート |
肴倉 忠 |
|||
30 |
函館丸 |
肴倉 忠 |
|||
31 |
北前船 |
肴倉 忠 |
|||
32 |
ローマの商船 |
肴倉 忠 |
|||
33 |
サンタマリア |
肴倉 忠 |