蓑虫山人略年譜

1836年

天保7年

0 歳

美濃国(岐阜県)安八郡結村に生まれる。本名土岐源吾。

1843年

天保14年

8 歳

結村受徳寺の小僧となる。

1849年

嘉永2年

14歳

生母「なか」死亡。郷里を出奔して放浪の旅に出る。

1852年

嘉永5年

17歳

父武平司64歳の時、結村を引き払い、名古屋へ移住。

1856年

安政3年

21歳

この年から蓑虫の号を用いる。

1858年

安政5年

23歳

投身自殺を企てた西郷隆盛を助けたという。

1860年

万延元年

25歳

長崎で画像祖門鉄翁に南宗画を学ぶ。

1863年

文久3年

28歳

熊本県下を漫遊する。

1869年

明治2年

34歳

父武平司死亡、洞仙寺に葬る。岐阜博覧会古器物取調係となる。

1872年

明治5年

37歳

4月京都に滞在。岐阜へも立ち寄る。

1877年

明治10年

42歳

東北地方への旅にでる。岩手県水沢滞在。

1878年

明治11年

43歳

秋田・岩手・青森への旅に出る。田名部の徳玄寺、佐井の箭の根八幡宮・長福寺に滞在。

1879年

明治12年

44歳

青森に滞在する。

1880年

明治13年

45歳

下北半島に滞在する。

1881年

明治14年

46歳

深浦の白崎家・広田家、追良瀬の今家・黒滝家、秋田小池村千田家などに滞在する。

1882年

明治15年

47歳

1月舞戸の一戸家に滞在。

     

2月鰺ヶ沢の戸沼家に滞在。

     

4月鰺ヶ沢の高沢寺に滞在。

     

5月相野(現森田村)の盛家に滞在。

     

6月宮川(現中里町)の古川家、筒木坂(現木造町)の三橋家に滞在。この月、浪岡で書画会開催。

     

7月弘前で侫武多を観る。

     

8月宮川の古川家に滞在。

     

9月五所川原の石井家に滞在。佐々木嘉太郎と会う。油川の西田家・津幡家に滞在。

     

10月小泊の秋元家に滞在(〜翌年5月)。

1884年

明治17年

49歳

枝川(現田舎館村)の工藤家に滞在。秋大鰐の加賀助旅館滞留、中野(現黒石市)中野神社に遊ぶ。十和田湖を経て三沢に至り広沢安任と会う。

1885年

明治18年

50歳

青森に滞在する。

1886年

明治19年

51歳

8月弘前で佐藤蔀と会う。

     

9月浪岡町の平野家・木村家に滞在。日本考古学の先駆者神田孝平氏と会う。

1887年

明治20年

52歳

4月青森県に滞在。亀ヶ岡遺跡の発掘調査をおこなう。

     

5月青森で奥村準作と書画会を開く。

     

6月三沢で古代器物展覧会を開く。会記を広沢安任が記す。

     

8月上京し、文部技官・神田孝平と会う。

     

10月秋田へ行く。

1888年

明治21年

53歳

秋田に滞在。神田氏に長者屋敷石器採集の状況を報告

1890年

明治23年

55歳

3月まで横手に滞在。

     

6月宮城県仙台に滞在。

1891年

明治24年

56歳

濃尾大地震起こる。宮城県から岩手県へ移る

1892年

明治25年

57歳

岩手県に滞在

1893年

明治26年

58歳

2月岩手県から結村役場に濃尾震災による郷里の被害状況を問い合せている

1894年

明治27年

59歳

1月岩手県に滞在

1895年

明治28年

60歳

1月秋田に滞在。

     

4月秋田扇田で肖像写真をとる。

     

5月青森の村本家に滞在。

     

7月弘前、碇ヶ関に滞在。

1896年

明治29年

61歳

1月秋田県扇田の麓家を最後に東北地方における長年の旅を終わり、名古屋の嫡兄左金吾宅を訪ねる。

     

4月羽島郡下羽栗村円城寺に滞在する。美濃地方に大洪水起こる。

1897年

明治30年

62歳

1月円城寺に滞在。

     

10月円城寺地区の人々の援助を受けて「篭庵」なるものを作る。

1899年

明治32年

64歳

7月丹羽郡北小渕村の大慈寺(姉の寺)に招かれ、聴衆に国体の趣旨を説く。長母寺に蒐集した古器物出土品等を運びこむ。

1900年

明治33年

65歳

2月名古屋市東区矢田町長母寺にて永眠する。法号蓑虫庵遍照源吾居士。

     

[出典]青森県立郷土館 1984 青森県立郷土館特別展図録 蓑虫山人ほか

蓑虫山人プロフィール

「蓑虫山人と北奥羽」出品目録