今 孝
大正6〜昭和21(1917〜1946)。中里村に生まれる。中里小学校を卒業後、青森商業に進み、本格的に卓球を始めた。昭和8年(1933)1月東郷旗争奪全国学校対抗戦の決勝で青森中学の宮川選手と6時間に及ぶ熱戦を繰り広げ、華々しいデビューを飾るとともに、日本ランキング第15位に名を連ねるに至った。
当時の学生界王座である早稲田大学に入学後は、全国高専大会での優勝を皮切りに、昭和11年(1936)から15年(1940)にかけて、前人未踏の全関東学生・全日本学生選手権5連覇の偉業を達成。またこの間、昭和13(1938)・14年(1939)には、全日本選手権において単復優勝を成し遂げている。
早大商学部卒業後は、日立製作所に入社するとともに、日本卓球界の元老山本彌一郎氏の長女智子と結婚した。卓球界の将来を嘱望されたが、間もなく病に倒れ、昭和21年わずか29歳という若さで永眠した。
主 な 競 技 歴
昭和 8 年 1 月 東郷旗争奪全国学校対抗戦、決勝戦進出
神宮大会全日本選手権大会準々決勝進出
全日本ランキング第15位にランク
昭和 9 年 1 月 東郷旗争奪全国学校対抗戦決勝戦進出
昭和10年 1 月 東郷旗争奪全国学校対抗戦全勝優勝
全日本中学卓球選手権大会優勝
日中対抗戦中学生日本代表
7 月 全日本学生選手権
8 月 全国都市対抗卓球大会(青森代表)優勝
10月 全日本卓球選手権大会決勝戦進出
全日本ランキング第2位
昭和11年 6 月 全関東学生選手権大会優勝
7 月 全日本学生選手権大会優勝
10月 全日本卓球選手権大会3回戦進出ベスト16
全日本ランキング第3位
昭和12年 5 月 全関東学生選手権大会(国際式)シングルス・ダブルス優勝
7 月 全日本学生選手権大会優勝
10月 全日本卓球選手権大会決勝戦進出
日本全学生軍ハンガリー対抗戦第1戦敗退
全日本軍ハンガリー対抗戦第2〜4戦全勝
昭和13年 5 月 全関東学生選手権大会単複優勝
10月 全日本卓球選手権大会単複優勝
昭和14年 1 月 東郷旗争奪戦一部 早大優勝
6 月 全関東学生選手権大会ダブルス準優勝 シングルス優勝
7 月 全関東選手権大会シングルス準優勝
全日本学生選手権大会単複優勝
10月 全日本卓球選手権大会単複優勝
昭和15年 5 月 全関東学生選手権大会単複優勝(5年連続)
6 月 汎太平洋卓球選手権大会日本チーム12戦全勝
7 月 全関東国際式選手権大会ダブルス準優勝 シングルス優勝
全日本学生選手権大会ダブルス準優勝 シングルス優勝(5年連続)
10月 全日本卓球選手権大会 ダブルス準優勝 シングルス3回戦進出
日本卓球協会より卓球功労者として表彰される
11月 春秋王座決定戦(早大対立教大)シングルス優勝
東西学生優勝校対抗戦(早大対関学)単…2戦2敗 複…1勝2敗
昭和16年 1 月 東郷旗争奪戦早大優勝
7 月 全関東選手権大会ダブルス優勝