考古学からみた古唐津


成整形 碗や皿・鉢などは蹴ロクロを利用して水引成形し、ケズリによって調整を行います。また瓶・壼・甕など大型の袋物は、巻上成形後叩きによって整形するものが認められます。内面に当て具をもち、外面から叩き具で叩いて薄く調整します。内面に残る当て具痕は、はじめ同心円状の当て具が利用されますが、寛永年間(162443)ころからは格子目状の当て具痕が多く見られるようになります。

釉薬 草創期に位置づけられる帆柱・皿屋窯・山瀬など岸岳系唐津諸窯では、白濁した藁灰釉を多用したいわゆる斑唐津の碗・皿が多く焼かれています。ほかに鉄釉・長石釉・石灰釉(長石+土灰[木灰])などもみられますが、最も盛んに用いられるのが灰釉です。とくに濃い暗緑色の灰釉は初期の唐津に多くみられますが、高台部分は無釉のものが殆どで、同時期の瀬戸美濃製品とは異なる様相を示します。慶長以後はしだいに藁灰釉によるものや濃い暗緑色の灰釉・長石釉が少なくなり、透明度の高い石灰釉が中心となります。また同時期には高台部に施釉した碗・皿が現われるようになります。

装飾文様 初期の唐津製品の主な装飾技法は鉄絵によるもので、一般には絵唐津と総称されます。植物文を中心に動物文器物文などが描かれますが、簡略化された表現が多いため、題材が不明なものも少なくありません。また、碗・皿の口縁部に鉄を塗って装飾する「皮鯨手」も盛んに製作されます。慶長元和以降は鉄絵が急速に減少し、かわりに白化粧土を用いた刷毛目や、象嵌によるいわゆる三島手、緑・褐色顔料で彩色した二彩手など新しい技法が出現します。

窯詰め 古唐津を時期的に分類する指標として、目積み方法の変化をあげることができます。目積みは、皿などを重ねて焼く場合、製品同士の溶着を防ぐために、団子状の「目」と呼ぶものを挟んで焼成する技法ですが、初期には製品と同様の粘土をまるめた胎土目が利用され、耐火性の強い砂を固めた砂目は、慶長の役後連れ帰られた朝鮮陶工たちによってもたらされた新しい技術であることが明らかになっています。このほか貝を使用する貝目や石灰岩を用いる陶石目などが用いられました。

[参考文献]

中里太郎右衛門 1977「唐津の歴史と陶技」愛蔵版日本のやきもの 5

小山冨士夫1986「唐津焼」古唐津 出光美術館

水町和三郎 1986 古唐津」古唐津 出光美術館

佐賀県立九州陶磁文化館 1987 『土と炎―九州陶磁の歴史的展開―』

林屋晴三 1989「唐津概説」日本の陶磁 5唐津

大橋康二 1993『肥前陶磁』考古学ライブラリー55