青森県内遺跡出土の古唐津


南北朝から室町時代にかけては、国内外の陶磁器が大量に流通し、青森県内の城館跡等において普遍的に出土することが知られています。食器における陶磁器指向は、桃山時代以降も引き続きますが、戦国期まで卓越していた中国陶磁が姿を消し、かわって瀬戸美濃唐津など国産施釉陶器の台頭が顕著となってきます。

とくに室町時代末に生産が開始された唐津焼は、従来の備前・越前焼の商圏を合わせた広大な範囲に流通し、近世初期の国内陶器市場を席巻するまでに成長を遂げました。

青森県内においてもほぼ同様の傾向が認められ、文禄・慶長の役前後から、同時期の美濃灰釉皿・志野などとともに出土例が急増します。津軽地方では、大浦為信が、石川城・大光寺城・浪岡城等の攻略を終え、津軽統一を達成しつつある時期に相当しますが、こうした攻防の舞台となった城館跡からの出土が、現状の分布では比較的多くみられるようです。

一方、東通村浜通遺跡の出土例には、初期唐津(岸岳系)に類似する資料が含まれており、操業当初より市場における需要ならびに流通経路が確立していた状況を想定することが可能です。これらの唐津焼は、中世以来の西廻り海運によってもたらされたと考えられ、海運従事者との関連が推定される遺構像とあわせ、当該期の流通形態を考えるうえで重要な視点を提供しています。

また、弘前市野脇遺跡は、農村集落として位置づけられており、仮にこれが正しいとすると、農村社会の一部においては、近世初期より陶磁器が浸透していた様子がうかがわれます。

[参考文献]

青森県教育委員会 1983 『浜通遺跡発掘調査報告書』

青森県教育委員会 1992 『野脇遺跡』

半沢 1998 陶磁器からみた五所川原地方の庶民生活『五所川原市史』通史編1

国立歴史民族博物館 1998 『陶磁器の文化史』