世界の自動車メーカー ◆イギリス◆


エー・シー[A.C]

 エンジニア、ジョン・ウェラーが自動車を製造するために、ディーラー、ジョン・ポートワインの支援を受け、1901年ロンドン南部に創業。1903年には最初のモデルが登場しました。[A.C.]とはAUTO CARRIERの略称で、1907年から使用されています。1918年から本格的な製造を開始。ヒルクライムなどのモータースポーツで活躍しました。1921年には創業者のウェラーとポートワインが同社を去るものの、1928年には英国最大級のメーカーへと成長します。しかし翌29年世界恐慌のあおりを受けて清算、30年にウィリアム・ A E・ハーロック兄弟およびチャールズ・F・ハーロックに売却されました。

 1961年、キャロル・シェルビーと、フォードの協力によりコブラの生産に集中、70年代にはミッドシップスポーツカーを開発しました。現在もコブラシリーズの部品を製造するとともに、1999年には自社のモデルにロータス製パワーユニットの供給を受けています。

 

アストン・マーチン[ASTON MARTIN]

 創始者はライオネル・マーチンとロバート・バルムフォード。1913年にロンドンに作られた自動車修理工場が始まりで、ライオネル・マーチンの名と、彼がヒルクライム競技で活躍した土地アストン・クリントンを組み合わせて社名としました。1922年市販1号車「ライオネル・マーティン」が誕生。小型高性能スポーツカー/レーシングカーの成功によりその名声を確立しました。

一方、ラゴンダは1898年、アメリカ人ウィルヴァー・ガンによるオートバイ製造が起源。ラゴンダはガンの故郷オハイオの小川の名称です。1904年にはAH・クランメルが技術参加、1908年自動車を生産しています。その後も主に軽量車、スーパーチャージャーを採用、1933年には2リッターモデルを登場させました。

1947年、アストン・マーチン、ラゴンダ両社は、産業用歯車や農業用トラクタメーカを経営するデイヴィッド・ブラウンが所有することとなり合併。W.O.ベントレーの設計する高級高性能スポーツカーの少量生産に転換、デイヴィッド・ブラウンのイニシャルであるDBシリーズとして販売されました。

 1972年デイヴィッド・ブラウンが本業の不振から経営権を手放し、一端は倒産したものの1975年アストン・マーチン・ラゴンダ社として再生、1987年からはフォードの傘下となりました。

 

オースチン・ヒーレー[AUSTIN HEALEY]

ウォズレー社総支配人ハーバード・オースティンが1905年創業。第2次大戦前から世界的ラリーストとして知られたドナルド・ヒーレーが、オースチンのエンジンをのせたレーシングカーを手がけ、世界のレースで好成績をあげました。以来「オースチン・ヒーレー」は、[FlogEye](日本では「カニ目」)と呼ばれ、戦後の英国を代表するスポーツカーとなりました。

 1952年、ナッフィールドグループと共にBMCの結成に参加。1959年不朽の名作Miniを開発するも、1968年のBL結成を経て、1983年「モンテゴ」を最後にブランド名は消滅しました。

 

ベントレー[BENTLEY]

1920年新進気鋭の自動車デザイナー、ウォルター・オーエン・ベントレーがクリクルウッドに設立したスポーツカーメーカが起源です。ベントレーは元々蒸気機関の設計技師であり、ベントレーの送り出す車は機関車的な重量感と絶対的な信頼性が盛り込まれるものとなりました。

 1923年から始まったル・マン24時間レースでは、戦前までに5勝。声価を高めますが、高品質高性能が売りであったベントレーは世界恐慌の波を乗り切れず、32年に倒産、ロールス・ロイス社に吸収合併されます。以降はロールス・ロイスと基本設計を共有しつつ、徐々に独自のモデルを展開しました。

 1990年代にはロールス・ロイスとともにフォルクスワーゲンの傘下となりました。

 

コンサル[CONSUL]

フォードがイギリスで作った車名で「領事」という意味があります。

 

ディムラー[DAIMLER]

英国の企業家フレデリック・リチャード・シムズが、1896年ドイツ・ダイムラー社からエンジン製造、販売のライセンスを取得し、コヴェントリーにデイムラーモーターカンパニーを設立。英国最古の自動車メーカーとなりました。

1897年に1号車が完成すると、エンジンパテント所有者に敬意を表し、ダイムラーを英語読みにした名前を車名としました。1902年、エドワード7世により英国王室の御料車に指定され、大型高級乗用車として英国の上流階級に広く受け入れられました。1908年にはダブルスリーブバルブの製造権を買い取り、静粛性を向上、高級車としての地位を不動のものとしました。

1931年高級車メーカーランチェスター社を吸収しますが、第二次世界大戦後の大衆化、大量生産の波に乗り遅れ業績が悪化。1959年にはスポーツカーSP250を発表して巻き返しを図りますが、1960年にジャガー社に吸取されました。ジャガーの対抗馬であったSP25064年で製造中止され、現在はジャガーと同一のボディに意匠を変え、その名を残しています。

 

ジャガー[JAGUAR]

1922年オートバイ好きのウィリアム・ライオンズは、友人のウィリアム・ウォルムズレーとともにサイドカーを製作するスワローサイドカー社を創業し、成功を収めました。1927年にはスワローコーチビルディングカンパニーを設立し、1931年スポーツ感覚に溢れるSSシリーズ発表、センセーションを巻き起こしました。1935年にはハイパワーとスタイリッシュなボディを持つ高性能車を開発し、優雅さ、上品さ、力強さ、そして敏捷さというイメージを有する「ジャガー」という車名を与えました。

大戦後はジャガーカーズ・リミテッドとして新たなるスタートを切り、1948年には最高の性能を備えたスポーツカーXKシリーズを発表しました。その後もXKエンジンを搭載したMkVIIMkII等のサルーンを発表するとともに、6気筒XKエンジンを搭載したCタイプならびにDタイプはル・マン24時間レースにおいて大活躍しました。1960年には英国最古の自動車メーカーである名門ダイムラーを親会社のBSAから買収、翌1961年にはXKスポーツの後継車となるEタイプやMkX1968年には、XJシリーズが誕生しましたが、現在はアメリカの大自動車企業フォードの傘下にあります。

 

ハンバー[HUMBER]

 1886年自転車製造をはじめたトーマス・ハンバーは、1899年に自動車会社を設立し、自分の名前を車名にしました。

 

ヒルマン[HILLMAN]

1907年、ウイリアム・ヒルマンはヒルマン自動車工場を作り、自分の名前を車名にしました。

 

ロータス[LOTUS]

英国レース界の王者コーリン・チャプマンが戦後設立したレーシングカーメーカー。オースチン・セブンをベースとしたスポーツカーの開発に成功したチャプマンは、1952年ロータス・エンジニアリングを設立しました。以来ロータス車は、F1をはじめ各種のレースで活躍しています。

ロータスという車名は、当時東洋哲学に関心を抱いていたチャプマンが、仏教思想の象徴でもあるロータス(蓮の花)に啓発されて採用したとする説があります。1982年心臓発作によるチャップマン急逝後は技術力に陰りが見え始め、1986年にはGMの資本を受けることとなりました。現在は複数の企業家グループが資本を共有し、うち8割ほどがプロトンのものです。

 

モーリス[MORRIS]

ブリティッシュ・モーターの製品ですが、創設者モーリスの名前を車名にしたものです。

 

エム・ジー[M・G]

ブリティッシュ・モーターのスポーツカーで、MORRIS GARAGEの頭文字をとったものです。

 

ライレー[RILEY]

1896年ごろ、ウィリアム・ライレーはライレー・サイクル・カンパニーを設立し、オートバイを製作していましたが、子供たちと共同で自動車製造に乗り出し、自分の名前を車名にしました。

 

ロールス・ロイス[ROLLS ROYCE]

イギリスの高級乗用車メーカー。マンチェスターで電気式クレーンを製造していたヘンリー・ロイスと、貴族出身のモータリスト、スチュワード・ロールスにより、1904年に設立されました。同年のモーターショーに名車「シルバー・ゴースト」のプロトタイプを出品して以来、その高品質と絶対的信頼性で世界の王侯貴族を馬車から自動車へ乗り換えさせました。RRの文字は2人の生前中は赤でしたが、1910年航空機事故によりロールスが他界して以来、弔意を表し、同社のエンブレムは黒地をベースとしたものになりました。

1931年ベントレー社を吸収した後は、航空機エンジンにも進出し、世界初のターボジェットエンジンの開発に成功し、技術力の高さを証明しました。以降、世界の最高級車として孤高の道を歩み、現在は航空機部門はBMW、自動車部門はフォルクスワーゲンの傘下にあります。また、2003年からはBMWが商標権を有することとなっていますが、高級車の代名詞として、今日においても評価が変わることはありません。

 

ローバー[ROVER]

はじめは自転車を作っていましたが、自動車製造をはじめて「歩きまわる人」という意味のローバーを社名としました。1994年、BMWによるローバーグループ買収によりBMW傘下となりましたが、2000年ローバーとMGの販売権およびバーミンガムのロングブリッジ工場を、イギリスの投資家グループ、アルケミー・パートナーズへ譲渡することが決定。アルケミーへの支払いを捻出するため、ランドローバーをフォードに売却しましたが、わずか2ヶ月後元ローバー会長のジョン・タワーズ率いる投資家グループのフェニックスコンソーシアムに、過去のブランド名の権利も含め、わずか10ポンドで買収されました。同年ミニ・クラシックの生産終了発表に伴い、社名が「MG Rover Group Limited」と改められました。

 一方、ランドローバーは売却先のフォードでは、リンカーン、ジャガー、ボルボなどとならんでプレミア・オート・グループに編入されています。

 

シンガー[SINGER]

自転車を作っていたジョージ・シンガーが1903年にオートバイ製造、1906年には自動車の製造をはじめ、自分の名前をとって車名としました。

 

サンビーム[SUNBEAM]

ゼネラル・モーターズ系のルーツ・グループ社の製品で、「太陽の光線」という意味でつけられています。

 

トライアンフ[TRIUMPH]

 スタンダード社の製品で、第1次世界大戦後に製造開始されたので、「勝利または凱旋」という意味でつけられました。

 

ヴォグゾール[VAUXHALL]

ゼネラルモーターズ社のイギリスの小会社の製品で、イギリスのキング・ジョンが家臣に贈った館の名からとったといわれています。

 

ウォルズレー[WOLSELEY]

ブリティッシュモーター社の製品で、機械会社のフレデリック・ヴォズレーが、工場長オースチンのアイデアで1898年から自動車製造をはじめ、自分の名前を車名にしました。

 

ランド・ローバー[Land Rover]

 ローバーに勤めるウィルクス兄弟が、Jeepの成功に触発されたことで小型4輪駆動車を企画、開発に乗り出し、1947年同社のブランドとして発表、翌年から販売を開始しました。初代モデルは、ローバーP3-601.6リッターエンジンを搭載し、トランスファーを持った4×4システムを採用、特異な、センターステアリングを採用しましたが、1958年発表のシリーズUでは通常の右ハンドルとなりました。

1994年、BMWによるローバーグループ買収によりBMW傘下となりましたが、2000年アメリカ・フォードに買収され、独立ブランドとなりました。

 

ブリティシュ・レーランド・モーター[British-Leyland-Motor]

1968年ブリティシュ・モーター[BMC]社とレーランド・モーター社の合併により設立されました。

BMCは、伝統的メーカーとして互いに覇権争いを繰り広げていたオースティンとモーリスが第2次世界大戦後の1950年、外国資本の侵略から民族資本を守るため大同団結して設立。やがてオースティン、モーリス、ウォズレー、MG、ライレー、ヴァンデン・プラを加えた6ブランドとなりました。

一方、レーランド社は1919年に設立されたトラック、バスのトップメーカーで、1961年スタンダード・トライアンフ社を合併、その後ACV、ローバー両社を吸収してきました。

 BLMの成立後も車種統合が進み、経営危機に端を発した国有化などに伴い、ライレー、ウォズレーのブランドが消滅。1984年、分割民営化に伴いオースティン・ローバーグループとなりますが、トライアンフが消滅。以降は分割されたブランドを除き、カンパニーネームとなったローバー、独立ブランドとなったミニ、そしてMG以外の全てのブランドが消滅しました。