自動車をめぐるドラマ


シャルル・ド・ゴールCitroen DS21

1955年のパリ・サロンでデビューしたDSは、未来からやってきたような斬新なスタイルと独創的なメカニズムで、前代未聞の一大センセーションを呼び起こしました。3,125mmの長いホイールベースに載るボディは自動車というよりも宇宙船を思わせるもので、それだけでも従来の自動車とは一線を画するものでしたが、油圧でサスペンション、ステアリング、ブレーキ、クラッチ、ギアシフトの全てを制御するハイドロニューマチックシステムは当時の常識では考えられないほど進んだ技術でした。

またDS21はシャルル・ド・ゴール大統領の愛用車としても著名です。ド・ゴールは、1958年第2次世界大戦直後に発足した第4共和政を廃し、大統領に強力な権限を持たせた第5共和政を成立させました。

フレデリック・フォーサイス原作の「ジャッカルの日」は、1963年のフランスを舞台に、地下テロ組織がド・ゴール大統領暗殺のために雇った殺し屋と、それを阻止する警察側との攻防を描いた作品ですが、実際ド・ゴールの絶対君主的な体制には反発が強く、たびたび暗殺の危機にさらされていました。

 

ジョン・F・ケネディLincoln Continental Conv.

ケネディは、1960年アメリカ大統領選挙に民主党候補として出馬し、共和党のニクソンを僅差で破って、43歳という若さで第35代大統領となりましたが、1963年暗殺者の放った凶弾に倒れ、帰らぬ人となりました。

1963年11月22日午後0時30分テキサス州ダラスを訪れたケネディ大統領一行は、リンカーン・コンチネンタル・リムジンのオープンカーで市内をパレードしていました。立体交差路に近づいた時、一連の銃声とともに大統領は頭にタマを受け、背中を撃たれた同乗コナリー・テキサス州知事は横倒しとなりました。ケネディ夫人はあえぐように、両手で大統領の頭を抱きかかえ、全速力で近くのパークランド病院へ走りましたが、午後1時に息を引き取りました。

暗殺の容疑者で逮捕されたオズワルドも2日後の24日、護送中のスキをつかれ、ダラス市内のナイトクラブ経営者ジャック・ルビーに射殺され、現在でも真相は謎に包まれています。

 

アドルフ・ヒトラーMercedes-Benz 770K

ナチス党(国家社会主義労働党)をひきいるヒトラーは、1933年政権の座につくやいなや、直ちに自動車工業の育成と自動車道路の整備を国策としてとり上げました。

同年に開催された「ベルリン国際自動車・自転車ショー」の開会式にのぞんだヒトラーは、「今や鉄道に代って、個人の計画に従って行動し得る新時代の交通手段たる自動車と道路を建設し、これによって交通の自由を獲得すべきである」と演説し、自動車工業の振興・アウトバーンの建設・国民車(フォルクスワーゲン)計画など積極的な振興策を進めました。

そのヒトラーの愛用者が、1930年ダイムラー・ベンツ社が送り出した770Kです。直8、7655cc/150psのエンジンを搭載した同車は、全てが自社の工場で1台ずつ手造りされ、わが国でも天皇御料車として32年モデルが4台、34年モデルが8台購入され、770Kはまさに王侯貴族・国家元首たちの公式用最高級車としての座に君臨しました。

1937年にマイナーチェンジを受けた770Kは近代的な骨組を与えられ、エンジンも強化されましたが、1940年までの生産台数は17台にしかすぎず、それらはヒトラーをはじめとするナチス指導者用に全てがふり向けられました。

 

クイーン・エリザベスU世Rolls-Royce Phantom VI

英王室エリザベス女王の公用車といえばロールスロイス・ファントム6が有名です。最近そのロールスロイスが、液化石油ガス(LPG)を使用する低公害車に改造されたとのニュースがありました。

エリザベス女王が乗車する公用車は、ロールスロイスをはじめ12台ありますが、いずれも大量に燃料を消費する豪華な車。その内4台がLPG車に切り替えられ、同様にバッキンガム宮殿内にLPガススタンドが建設されたということです。

改造は女王のたっての希望によるもので、王室では、ファントムを手始めに全車を低公害車に改造する方針で「環境に優しい」王室のアピールにつとめる予定だそうです。

 

石原裕次郎Mercedes-Benz 300SL

1954年ニューヨーク・オートショーで一般公開されたMercedes-Benz 300SLは、俳優の石原裕次郎やプロレスラー力道山の愛車としても知られています。

スポーツカーレースとグランプリの両方を制覇することを宿命づけられた純粋のレーシングモデルとして開発されました。当時の最先端技術が注がれており、ガルウィングタイプのドアやマルチチューブラー・スペースフレームのボディに、直列6気筒2,996CCエンジンが組み合わされ、最高馬力215ps、最高速度235km/hを誇りました。第二次大戦後、初めて造られたメルセデスベンツのレーシングカーとして、自動車史のうえでも価値のある、記念すべき自動車です。

なお、石原裕次郎愛用のSL300は、現在小樽にある裕次郎記念館に展示されています。

 

エルビス・プレスリーCadillac Eldorado Biarritz

カントリーウエスタンの聖地ナシュビルのCountry Music Hall of Fame(カントリーミュージックの殿堂)には、エルビス・プレスリー愛用のゴールドキャデラックが展示されています。キャデラックの”恐竜時代”と言われていた時期に生産された車で、V8エンジンを搭載し、全長は約5.7メートル、車幅は約2メートルもあり、テールフィン(垂直翼)が特徴的です。

黄金郷を意味するエルドラード・シリーズは当時のキャディラックの最上級モデルですが、そのなかでも豪華版車種が”ビアリッツ”です。メモリー・パワーシート、エレクトリック・ドアロック、リモコン・トランクオープナー、エアサスペンションまでもが標準装備となっていて、オートマチックヘッドライトには、対向車を感知すると自動的にヘッドライトの光量を落とす機能が備わっていました。

ロチェスター製2バレル・モデル7015901を3基付けた6バレルエンジンは、345馬力を絞り出しました。

 

ジェームス・ボンドAston Martin DB5,BMW Z3

映画に出てくる車といえば、007シリーズのボンドカーが有名です。シリーズ第15作「トゥモロー・ネバー・ダイ」(1997)ではリモコンで運転できるBMW750が登場しましたが、もっとも有名なボンドカーはアストン・マーチンです。ショーン・コネリーが主演したシリーズ第3話「ゴールドフィンガー」(1964)でデビューし、第4話「サンダーボール作戦」(1965)でも使われました。アストン・マーチンは、1台1,500万円以上するイギリスの高級スポーツカーですが、アストン・マーチン製ボンドカーは、防弾ガラスで、ナンバープレートがひっくり返ると機関銃が出たり、車輪のハブからは「ベンハー」の戦車シーンそのままのドリルが出たり、リヤバンパーからは鉄菱・煙幕・オイルが出てくるなど仕掛けが盛りだくさんでした。

その後日本が舞台の「007は二度死ぬ」(1967)ではトヨタ2000GTが使われ、ピアース・ブロスナンがボンドを演じた「ゴールデンアイ」(1995)のBMW Z3ロードスター以降は、専らBMWの車が用いられています。

 

スティーブ・マックィーンFord Mustang GT 390

猛烈なカーチェイスで記憶に残る映画といえば、「大脱走」「栄光のル・マン」に主演したスティーブ・マックィーンの「ブリット」です。サンフランシスコ市警の刑事ブリットが護衛中の重要証人を殺され、その犯人を大追跡する内容ですが、クライマックスはサンフランシスコの急な坂道で、ダッジチャージャー440を相手にしたカーチェイスです。

マックィーンがふんするブリット刑事はスポーティーなフォードマスタングGT390を駆って、胸つく急坂を飛び上がり、飛び降り、大疾走します。車体の低いマスタングがつむじ風のように坂道を飛び去っていくシーンは、マックィーン自身が運転し、コマ落としなしでカーチェイスを撮影した最初の映画ということで、今でも語りぐさになっています。

マスタングは、アメリカ小型スポーツ車の先駆け的存在で、当時フォードの副社長だったリー・アイアコッカが計画に携わりました。従来の約5分の1の価格のスタイリッシュなクーペ&オープンは、1964年の発表と同時に2年間で50万台以上を売り上げるベストセラーとなりました。

Mr.ビーンMini

Mr. ビーンとは、イギリスの俳優ローワン・アトキンソン演じるテレビコメディシリーズで、世界的に人気を博しています。本国では過去最高視聴率を誇り、全世界で90ヵ国以上、また50社以上の航空会社の機内で放送されています。日本でもNHK で放送され、着実にそのファンを増やしています。

そのMr. ビーンの愛車がミニ。アレック・イシゴニスの設計により1959年発表され、当初はBMC(ブリティッシュ・モーター・カンパニー)内の「オースチン・セヴン」と「モーリス・ミニ・マイナー」として大衆市場向けに販売されました。大人4人と荷物、そして象徴的な前輪駆動の横置きエンジンによるパワーパックを、ほとんどオーバーハングの無いボディに凝縮し、技術面はもちろん、自動車文化の面においても後世の小型車に多大な影響を与えました。

 

タッカーTucker

第二次世界大戦終了直後、レーシングチームのマネージャーなどで活躍したブレイストン・トーマス・タッカーが、イリノイ州の大規模軍需工業を譲り受けて製作した自動車が「タッカー」です。

資金不足を補うために、試作車も未完成の段階から広告展開により出資者を募ったりしましたが、部品調達に苦しみ、計画したATミッションはMTとなるなどの設計変更を経て1948年「トゥーピード」を市場に送り出しました。

この車は元オーバン・コード・デューセンバーグ社のアレックス・トレミュリスをデザイナーに迎え、センターに配したライトがステアリングと連動して動くなど安全面への配慮がされていましたが、ヘリコプター用エンジンをベースとしたエアクルードモーター社製水平対抗6気筒を採用しRRレイアウトを採る異端な存在でした。

 しかしながら、この考えが非常にユニークで新しいものだったので、アメリカの自動車業界を支配するビッグスリー(GM、フォード、クライスラー)は脅威を感じ妨害活動を行うとともに、タッカー自身も出資者に詐欺容疑で告発され、無罪となるもののこれにより会社の存続は不可能となりました。

 出資者には映画監督フランシス・コッポラ氏の父親も名を連ね、コッポラ監督による映画「タッカー」に一連の経緯が紹介されています。

 

ルパン三世FIAT 500 Mercedes-Benz SSK

ルパン三世の愛車はベンツSSKもしくはフィアット500(チンクチェント)、あるいはミニが有名です

メルセデスベンツSSKは1928年に発表されたスボツカーで、225psのハイ・パワーによって、ルパンの活躍を支えています。

また、「カリオストロの城」で乗ってた小さな黄色い車がフィアット500です。"トッポリーノ"とか"チンクエチェント"の愛称で親しまれてるイタリアの大衆車で、500cc・2気筒OHV・19psと現在のクルマと比べると非力ですが、非常に小回りが利き、パトカーやトレーラー相手に奮闘します。

なお、新ルパン三世(パート2)の車は、モーガン4/4ではないかとする説や、アルファロメオ・グラン・スポルト・ザガートとする説などがあり、定説に至っていません。

 

「チキ・チキ・バン・バン」CHITTY CHITTY BANG BANG

「007」の産みの親イアン・フレミングが子供たちのために書いたストーリーを、「007」映画のスタッフが大スケールで映画化したのが、「チキ・チキ・バン・バン」です。トンデモ発明家のパパ、ポッツは子供たちに頼まれて、廃車になっていたレーシングカーを大改造。夢の車「チキ・チキ・バン・バン」号に乗って、陸・海・空を大冒険します。

ナンバーは「GEN 11」。名前の由来は、エンジンの「チリチリ」という音と、エグゾーストの「バンバン」という音からきています。

スペック■ 全長5.36m、全幅1.75m、全高1.91m。

デザイン■ ケン・アダム

データ ■ 製作期間4カ月、費用1200万円、エンジンはフォードV6。

 

「ミニミニ大作戦」Mini Cooper

ミニ・クーパーが大活躍するのが、1968年製作の「ミニミニ大作戦」です。ロンドンのとある刑務所を出所したばかりのチャーリーは、ボスMr.ブリッジャーとコンピューターの第一人者ピーチ教授を仲間に引き入れ400万ドルの金塊を強奪すべく3台のミニクーパーを用意し周到な計画を練ります。

首尾よく奪った金塊を摘んだミニクーパー3台がその小さなボディと機動性を生かし、アルファロメオの警察を出し抜いて、アーケードの商店街、教会、美術館の階段、ドームの屋根、果てはビルからビルへと大ジャンプ。そして下水管の中、河川等等縦横無尽に走り回り大活躍します。出演車両はほかにアストン・マーチン、ジャガー、ロールスロイスなどイギリスが誇る名車をはじめ、トリノはフィアット社がある町なので所々に多数のチンク・チェントやランボルギーニなども出演しています。名車をふんだんに使ったコメディの楽しさを教えてくれる作品です。

 

「ラブ・バック」Volkswagen Beetle ragtop sedan.

1969年ウォルト・ディズニーが制作した"The Love Bug"という映画が公開されました。意思を持ったフォルクスワーゲン・ビートル「ハービー」がさまざまな事件をおこしつつハッピーエンドとなる映画で、子供から大人まで家族揃って楽しめる作品です。

レースに出ても全く勝てず、自信をすっかりなくしていたレーサーのジム・ダグラスと、意志を持った車「ハービー」が、数々のレースに挑戦し、優勝します。ますが、敵役ソーン・ダイクによって邪魔をされます。一日目はソーン・ダイクの仕業でタイヤが外れたりして最下位にされてしまいます。二日目は最下位からどんどん追い上げ、やっとトップのソーン・ダイクに追いつき、最後には前後半分になりながらも、後部が一位、前部が三位と優勝しました。

ソーン・ダイクの会社はハービーを応援した中国人のものになり、ソーン・ダイクはその会社の雑用係になりました。ジムとソーン・ダイクの元秘書キャロルは結婚し、ハービー任せのハネムーンに出発します。