世界の自動車メーカー ◆イタリア◆


アバルト[ABARTH]

オーストリア出身のカルロ・アバルトが1949年設立。ベルトーネやギアの協力を得て、フィアットや、シムカ、アルファロメオをベースとしたスペシャルモデルを製作。やがてフィアット600をベースにした、フィアット・アバルト750ベルリーナの好評により、フィアットから特別契約でベースカーを供給されるまでになりました。

 71年フィアット傘下となり、実質的なモータースポーツ部門を担当。ただしコンプリートモデルとしては、87年以降「アバルト」を冠したマシンは登場していません。エンブレムの「サソリ」は、カルロ・アバルトの誕生月の星座にちなんだものです。

 

アルファ・ロメオ[ALFA・ROMEO]

1910年ミラノ郊外にあったフランスの自動車会社ダラック社のイタリア工場を、ミラノの実業家たちが買収してロンバルダ自動車製造株式会社(Societa Anonima Lombarda Fabbrica Automobili)を興し、頭文字をとってALFAとしました。当初は高性能なツーリング・カーを少量生産していましたが、1915年イタリアのエンジニア、ニコラ・ロメオに買収され、ALFA-ROMEOとなりました。

第一次世界大戦が終わると本格的に自動車の生産を始めるとともに、タルガ・フローリオやミッレミリアなどのレースに進出し、多くの勝利を手中にしました。第二次世界大戦後は、1900をはじめジュリエッタ、ジュリアの各シリーズが好評を博するとともに、ツーリングカーレースでも活躍をします。1986年フィアットグループへの吸収後は、164155145、スパイダーやGTVなど、スポーティなモデルを次々に投入、魅力的なラインナップを揃えるに至っています。

 

フェラーリ[FERRARI]

 エンツォ・フェラーリは、最初レーシングドライバーとして活躍しましたが、健康上の理由から引退しました。その後アルファ・ロメオ社のチーム監督となり、好成績を挙げ、同社の黄金時代を築き上げました。フェラーリの名を冠した最初の車は1947年にデビューしましたが、以来F1をはじめとする多くのレースを制覇しています。シンボルマークの「跳ね馬」は、第1次世界大戦の空のエース、バラッカ中尉のマスコットに由来するものとされています。

1969年、市販車部門の経営権の1/2をフィアットに譲渡。GPチームはSEFAC、ロードカーはFIATの管理下となりました。

 

ランボルギーニ[Lamborghini]

 エアコンディショナーや農業用トラクター製造で成功したフルッチオ・ランボルギーニが、フェラーリに対抗するスポーツカーを目的に1963年自動車メーカーに進出。DOHCや後輪独立懸架、ミッドシップレイアウトなど、常にフェラーリに先駆ける形で実用化し、その名を高めていきました。

 1972年にスイス人実業家に経営権を譲渡、フルッチオは一線から退きます。その後もカウンタックの発表や、BMWとの提携によりM1の共同開発などを手がけましたが、1978年倒産。政府の管理下に置かれた後、1981年にはパトリック・ミムラン率いるフランスの企業グループ下で再出発します。1987年にはクライスラー傘下となり、体制下の戦略に従ってF1エンジンを開発・供給、頑なに拒みつづけたモータースポーツの世界へと足を踏み入れました。1993年インドネシアの新興財閥であるセトコ・グループのメガテック社への譲渡を経て、1999年アウディの傘下となりました。

 

フィアット[FIAT]

1899年ジョバンニ・アニェリによって、トリノ・イタリア自動車会社(Fabbrica Italiana Automobili Torino)として設立され、1906年頭文字をとってFIATとしました。競走用自動車の開発にはじまり、小型乗用車・バス・トラック・航空機、さらに造船・鉄鋼・鉄道車両と事業を拡大し、イタリア最大のコンツェルンへと成長しました。

自動車生産においては、国内で独占的地位を占め、アルファ・ロメオ、マセラティ、ランチア、フェラーリなど各社を傘下に従える巨大企業となりました。

 

ランチャ[LANCIA]

フィアットのレーシングドライバーであったビンチェンツォ・ランチアが自らの理想を自動車に反映すべく1906年に創設。一貫した高品質、独創性、先進性の元、アウレリアなどの傑作を送り出しましたが、1955年、政危機により、カルロ・ベセンティに買収されました。

 1969年経営不振からフィアット傘下となり、フィアットとの部品共有化を進めなつつ、グループの高級レンジを担うとともに、WRCメイクスタイトル11回を誇るラリーでの活躍を主として、モータースポーツフィールドで活躍しています。

 

マセラティ[MASERATI]

 1920年代半ば、マセラティ家の三男アルフィエリが手製のレーシング・モデルを製作し、レースで成功を収めました。1926年アルフィエリ・マセラティ社がされ、同年のタルガ・フロリオで勝利を収めて注目されました。1938年オルシ社に吸収された後も、レース活動を続け、50年代にはF1レースをはじめ各レースで輝かしい成績を残しました。シトロエン社への吸収を経た後、フィアット社の傘下に入りました。

エンブレムのトライデント(三つ又の槍)は、最初にマセラティ社を置いたイタリア・ボローニャ市のシンボルであるポセイドンが手にする槍(トライデント)をモチーフにされたと言われてます。

 

モレッティ[MORETTI]

オートバイ製造からスタートした、ジョヴァンニ・モレッティは、1948年にモレッティ自動車会社を設立し、自らの名前を車名に用いました。