世界の自動車メーカー ◆アメリカ◆


ビュイック[BUICK]

芝生の散水器やエナメル吹き付けの鋳物などの発明家デビッド・ダンバー・ビュイックが1903年にビュイック・モーター社を創設。彼の考案したエンジンを搭載した車は、ビュイックと呼ばれ、年々生産量を拡大していきましたが、デビッドは1906年に会社を去りました。ビュイック・モーター社は後にゼネラル・モーターズ[GM]社の母体となり、現在はGMブランドの一つとなっています。

 

キャデラック[CADEILLAC]

フォードが去った後のデトロイト自動車会社が1902年、キャデラック社と改称。翌03年にキャデラック第1号を出しました。社名はデトロイトを最初に開拓したとされるフランス軍人アントニ・デラモース・キャデラックに由来。1910年にはゼネラルモーターズ[GM]社に吸収されました。

1912年それまで手動だったエンジン始動に変わって、セルモーターを採用、また1914年には現在のアメリカ車エンジンの基礎となるV型8気筒エンジンを搭載、また1940年にはオートマチックトランスミッションを採用し、1954年にはパワーステアリングを全車に標準装備するなど、常に最先端の技術を取り入れ、アメリカを代表する高級車としてモーターリゼーションをリードし続けてきました。

 

シボレー[CHEVROLET]

シボレーは、ゼネラルモーターズ[GM]社の創始者でありながら、後に会社を追われたウィリアム・C・デュラントと、スイス移民のレース・ドライバーで車の設計者だったルイス・ジョセフ・シボレーによって1915年に創業されました。シボレー・モーター社は中堅モデルを作るメーカーとして頭角を現わしますが、結局17年にGMに吸収されました。

以来、シボレーは大衆モデルとスポーツモデルを担うGMの主力ブランドとして、多くの成功を収めています。

 

クライスラー[CHRYSLER]

自動車技術者ウォルター・P・クライスラーによって1925年設立されました。創業以来常に高性能で革新的な車作りで定評があります。油圧ブレーキやパワーステアリングなどをいち早く市販車に採用して、技術のクライスラーというイメージを確立するとともに、プリムス、ダッジ、シムカ、ルーツ(ヒルマン)など各社を傘下に収め、アメリカ第3位のメーカーとしての地位を固めました。

また70年代以降は、ダッジブランドに代表されるマッスルカーシリーズやモパーというスポーツキットの販売、そしてこれらによるコンペティションシーンでの活躍などにより、スポーツブランドとしても定着しています。1998年にはダイムラー・ベンツ社と合併し、ダイムラー・クライスラー社として新たな道を歩み始めています。

 

チェッカー[CHECKER]

1922年モリス・マルキンによって設立されたチェッカータクシー製造会社は、創業時よりタクシー・キャブを専門に作っていましたが、1963年からステーション・ワゴンやセダン製造に乗り出しました。

 

ダッジ[DODGE]

ジョンとホレイスのダッジ兄弟は、1903年よりT型フォードのシャーシ製造を手掛け、1913年からは本格的な自動車生産を始めました。兄弟の死後、クライスラー社が会社を買い取り、以後はクライスラー・グループの中核的存在として今日に至っています。

実用的かつ経済的なモデルやスポーティなモデルを得意とし、NASCARNHRAといったレースシーンで大活躍しました。1970年代末にクライスラーの経営不振の影響を受けて、一時業績は低迷しましたが、8リッターV10気筒エンジン搭載の「ダッジ・バイパー」を発表するなどしてイメージを刷新、難局を乗り切ろうとしています。

 

フォード[FORD]

フォードを創始したヘンリー・フォードは、発明王トーマス・エジソンの創設したデトロイト・エジソン電灯会社の技師を勤める傍ら、1896年独自のエンジン車を完成させ、デトロイトの路上での試運転に成功しました。1903年にはフォード自動車会社を設立し、1908年には20世紀を代表する「T型フォード」を世に送り出しました。同車は、大量生産方式による低価格を実現し、究極の大衆車としてアメリカ社会一般に普及しました。

フォードは、その後もアメリカの繁栄とともに歩み、シボレーと激しい販売競争を繰り広げるとともに、ヨーロッパへも進出し、世界の自動車業界の牽引役ともなっています。近年は、マツダ、ジャガー、アストンマーチン、ボルボ、ランドローバーなど世界に名だたるメーカーを傘下に収め、業界再編に向けて着々と世界戦略を進めています。

 

インペリアル[IMPERIAL]

クライスラー社の製品で、ゼネラルモーターズ社のキャデラックとともに、世界に誇る最高級車というイメージから名付けられました。大統領の乗用車ともなリ、また諸国元首の車にも利用されました。戦後日本に進駐した連合国最高司令官マッカーサーの愛車としても知られています。

 

リンカーン[LINCOLN]

ヘンリー・リーランドは1890年友人フォークナーと共にデトロイトで機械工場の経営を始めたのをきっかけに、ヘンリー・フォードを技師長とするデトロイト自動車の技術顧問を引き受け、やがてキャデラック製造に乗り出します。

キャデラックがゼネラル・モーターズ[GM]に吸収された後も、アメリカ初のV8エンジン車などを生産していましたが、やがてGMを退いてリンカーン・モーター・カンパニーを設立しました。V12エンジンを終戦までに6000基以上生産するとともに、終戦後は高級車メーカーをめざして1920年最初の試作車を完成させましたが売上は伸びず、2年後にフォードの一部門として買収されました。

 

マーキュリー[MERCURY]

ギリシア神話の商業の神様の名前をつけたもので、ギリシア語ではヘルメス、天文では水星の意味になります。高級車メーカーのリンカーン社を吸収したフォードが、リンカーンに続く3番目のブランドとして設立しました。マーキュリーは、フォード社内においては「リンカーン・マーキュリー部門」として扱われ、「大衆車のフォード」とは異なる上級ブランドに位置付けられていますが、近年はフォードシリーズとの姉妹車も数多く商品化されています。

 

オールズモビル[OLDSMOBILE]

アメリカで最も古い自動車メーカーであるオールズモビルでは、ランサム・E・オールズによって、1897年に設立されました。1908年にゼネラルモーターズ[GM]グループの一員となり、GMの中ではキャディラックに次ぐ上級ブランドに位置付けられています。

基本的には、フルサイズモデルを中心としたラインナップですが、70年代に入ってキャディラックのFFモデルとシャシーを共有したインターミディエイトクラスのモデルもリリース。スポーツ色よりラグジュアリーな上級車を担っていましたが、数年後には消滅が予定されています。

 

プリマス[PLYMOUTH]

1928年ダッジを買収したクライスラーは、翌29年従来型の52シリーズを「プリマス」ブランドとして独立させました。ブランド名は、1620年イギリスから移民を乗せてアメリカに向ったメイフラワー号の人々がはじめて上陸した地名からとられました。

プリマスはロードランナー、バラクーダ、クーダなどスポーツクーペを主力にラインナップを構成、特にデコレーションを廃したビックパワークーペのロードランナーは、レーシングマシンのベースとしても幅広い層から支持されましたが、同ブランドも数年後には消えゆく運命のようです。

 

ポンティアック[PONTIAC]

ポンティアックは、オタワインディアンから名づけられたもので、当初のモデルにはボンネットの先端にブランドの象徴としてインディアンの像が飾られていました。1926年ポンティアックを吸収したゼネラル・モーターズ[GM]は、同ブランドを手ごろな価格帯をカバーするシボレーと中間的価格帯のオールズモビルの中間に位置づけました。耐久性と信頼性をセールスポイントにしたポンティアックはみごとにその大役を果し、最初に発表したシックスは、3年で2万台以上を売り上げました。その後もNASCARをはじめとするコンペティションシーンでの活躍や、マッスル系の高性能モデルの積極的な開発によって、スポーティなイメージを築き上げ、日本においても人気の高いブランドの一つです。

 

ゼネラル・モーターズ[GM]

ビュイック・モーター社のウィリアム・C・デュラントはメーカーのグループ化を図り、1908年ビュイック社を中心にオールズモビル、キャデラック、オークランドの三社の買収を経てゼネラル・モーターズを設立しました。その後、シボレー、ポンティアックの両部門を加えるとともに、それらのブランドをもとにした価格帯ごとのモデル開発を行って、顧客の多様化に対応しました。また、モデルチェンジを頻繁に行って、買い換え需要を喚起する手法等により、1920年代後半にはフォードを抜いて、業界トップの座に着きました。

また、早くから海外にも目を向け、ヴォグゾール、オペル、ホールデン、いすゞなどを傘下におさめ、1985年には別会社としてサターンを設立。現在はスズキ、サーブをはじめ99年にはスバルにも資本参加をしていまするなど、世界最大の自動車メーカーとして君臨しています。

 

スチュードベーカー[STUDEBAKER]

 オランダ系移民のスチュードベーカー家が興した馬車製造業務が前身で、創始者の曾孫であるヘンリーとクレメント兄弟が1852年にインディアナ州に設立した会社が世界最大の馬車製造メーカーとなり、1902年小型電気自動車に進出、1904年にはガソリン車の製造を開始しました。

 1910年にはEMF社と合併して、全米2位のメーカーに躍進します。世界恐慌により1933年に倒産するも短期間で再建し、小型大衆車路線で成功します。戦後も好調を維持し、1954年にはパッカード社と合併しますがこの頃から販売不調となります。1963年威信を掛けて「アヴァンティ」を市場に送り出しましたが、業績の回復には至らず1966年乗用車製造から撤退しました。

 

パッカード[Packard]

1899年ジェームズ・ウォードとウィリアムズ・ダウドのパッカード兄弟がウィントン社から引き抜いた2名のエンジニアと共に設立しました。全てのパーツを一貫生産する品質管理技術の下、アメリカ車初のパワーステアリングの採用や国内外VIP専用車の開発などで他社を圧倒しました。

しかし高品質に偏りモデルチェンジを行わなかったことで低迷し、1954年にスチュードベーカーに合併され、1958年に消滅しました。