指定文化財
 

 
県史跡「中里城跡」(中里)
平安時代の防ぎょ集落が、ほぼ完全な形でのこっています。昭和63(1988)年より、発掘調査が行なわれ、平安時代の竪穴建物・井戸・空堀・柵列などの遺構や、土師器・須恵器・擦文土器などの遺物が発見されました。
   
中里城跡   中里城跡史跡公園   空壕跡
         
町有形文化財「五林神社五輪塔及び宝篋印塔」(中里)   町有形文化財「貞享の絵図」(中里)    町有形文化財「富野猿賀神社船絵馬群」(富野) 
五輪塔は1基、宝篋印塔は数基見らますが、いずれも鎌倉〜室町時代につくられたもので、現在中里町にある石造の文化財としては、もっとも古いものです。もともと供養のために建てられたものですが、現在は五林神社の神様としてまつられています。   江戸時代前期、弘前藩が各村に命じてつくらせた絵図です。村ごとにつくられましたが、現在のこるのは、中里村のものだけです。当時の中里村のようすや、交通・城あと・新田開発の研究に役だつ貴ちょうな史料です。   猿賀神社のそばを流れる岩木川では、かつて多数の船が行ききしていました。その船頭たちが、航行の安全をねがって納めたのが「船絵馬」です。江戸時代後期より明治年間にかけてのものが88点見られ、なかには北海道松前の人が納めたものもあります。→船絵馬詳細

 

 

 
町天然記念物「般若寺イチョウ」(富野)   町有形文化財「弘誓寺懸仏」(尾別)   「弘誓寺如来坐像」(尾別)
弘前藩は、金木新田の開発にともなって、岩木川の治水工事をおこないました。工事の完成を記念して、ときの藩主が自分で植えたのが、般若寺のイチョウです。樹齢は、推定300年前後で、中里町内のイチョウの中では最大最古のものです。   室町時代の製作年代が推定される鋳銅製の懸仏。   室町時代の製作年代が推定される寄木造漆箔如来坐像。
 

 


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