蓑虫山人プロフィール


放浪の画人として知られる蓑虫山人は、天保7年(1836)美濃国(岐阜県)安八郡結村に生まれました。本名は土岐源吾、ほかに「蓑虫仙人」「三府七十六県庵主」「六十六庵主」とも称しました。 嘉永2年(1849)14歳のときに郷里を出て以来、48年間にわたって諸国を放浪し、その足跡は全国各地に残されています。

生活用具一式を背負い、時には折りたたみ自在の寝幌に一夜を過ごす山人の旅は、九州地方を手はじめに、中国・近畿・東海・関東を経て、明治10年(1877)北奥羽地方へ及びました。山人にとって、北奥羽の風土は居心地の良いものであったらしく、放浪の旅を終える明治29年(1896)まで毎年のように来遊し、佐藤蔀・広沢安任ほか多くの地元人々と交流を結びました。

山人は、青森県をはじめとする北奥羽各地へ長期にわたって逗留する傍ら、名勝や文化財あるいは寄留先の様子などを詳細に記録しました。近代の北奥羽地方の雰囲気を如実に伝えるそれらの作品群は、民俗学研究の一級資料として評価されています。

また考古学に対してはとくに深い関心を抱き、多くの遺物を収集しつつ、明治20年(1887)には木造町亀ヶ岡遺跡の発掘調査を手がけています。この調査の模様を記す書簡は、「人類学雑誌」に掲載され、同遺跡の名を全国に広げる役割を果たしました。

諸国歴遊の旅を終えた後は、名古屋市長母寺に寄寓する傍ら、自らが収集した資料を展示する「六十六庵」建設を構想しましたが、果たせないまま明治33年(1900)鬼籍に入りました。享年65歳。

蓑虫山人略年譜

「蓑虫山人と北奥羽」出品目録