U 中里城跡環境整備に至る経緯

 

1 環境整備計画の具体化

 中里城跡は、古くから地域住民の間で「お城っこ」「館っこ」として語り継がれてきている。当城跡は、津軽半島北部を縦走する国道339号線沿いに展開する中里町の中心部、ストーブ列車で有名な津軽鉄道終点の津軽中里駅から東北部に続く尾根の先端部(標高約50m)に位置する。自然環境にも恵まれ、眼下に町並みが一望できるなど勝れた立地条件を備えている。

 このような恵まれた環境地内に存在することから、地域住民の憩いの場としての整備構想が提起され、町が将来目標とする「豊かでうるおいのある文化の町」づくりの一環としての公園化の検討が進められてきた。昭和60(1985)・61(1986)年度の2箇年で、その中核と目される部分約8,880uの用地買収を行った。

 しかし、本城跡は、文化庁の遺跡台帳に登録されている埋蔵文化財包蔵地(遺跡)であることから、公園整備の実施にあたり、前提条件とされる発掘調査を行ってその記録保存を図る必要があること、及び歴史的解明の中で整備の方向付けをすべく、発掘に着手することとしたものである。

 この基本方針に従い、昭和62(1987)年度は、中里城跡に係る歴史的な文献調査を実施し、昭和63(1988)年度は、主郭と目される箇所約6,000uの内、1,104uの試掘調査を実施して遺跡の概要の把握に努め、その記録保存を図ることとしたものである。

 

2 発掘調査の概要

 @昭和63(1988)年度試掘調査

 弘前大学教育学部村越潔教授を会長とする「中里城跡調査会」が組織され、T郭平場部分を対象に、1,104uにわたって、トレンチ方式を主体とした遺構確認調査がなされた。柱穴・空堀跡・竪穴跡等の遺構、或は縄文時代前期(約5〜6千年前)・平安時代(10〜11世紀)の土器や、室町時代(15世紀前半)、それ以降の陶磁器等の遺物が発見され、縄文より現代へかけての複合遺跡であることが理解されるとともに、本発掘調査への方向付けがなされた。

 A平成元(1989)年度発掘調査

 グリッド方式による発掘調査の結果、20軒余りの竪穴建物跡、平場南辺沿いに展開する柵列跡等を中心とする古代集落の様相が明らかにされるとともに、中世(室町時代)に関わる遺構が比較的薄いことが確認された。

 B平成2(1990)年度発掘調査

 T郭中央を南北に並走する空堀・土塁の精査を行った結果、近世以降の遺構である可能性が高いことが判明した。また30軒近くの竪穴建物跡を始め、柵列跡、大溝跡、犬走り・段状遺構等平安時代の遺構群が検出された。

 C平成3(1991)年度発掘調査

 第1・2帯郭部分の調査が実施され、第1帯郭面にV字状空堀(薬研堀)、第2帯郭面にU字状空堀(箱堀)が検出された。特に第1帯郭の空堀は、平場東半を囲繞するような状態で検出されるとともに、埋土の遺物より、平安時代構築の可能性が高いことが確認された。また平
場からは、竪穴建物が新たに10軒程度検出された。

 D平成4(1992)年度発掘調査

 T郭東部を対象に実施され、竪穴建物が新たに20軒近く検出され、元年度よりの総数は約80軒に達することとなった。本調査をもって、発掘調査は一旦終了するとともに、T郭並びに帯郭部分に於る“古代防御集落”としての様相がほぼ明らかになった。

 

3 史跡指定の経緯

 中里城跡は、平成3年4月27日付で中里町長塚本恭一より、中里町教育委員会に対して中里町指定文化財の申請がなされた。

 教育委員会は、ほぼ1年間にわたる調査・審議を経た後、平成4年2月24日付けで中里町教育委員会へ答申書を提出した。答申内容は以下の通りである;

 “答 申

 平成4年2月現在、なお発掘調査が継続されているが、既調査によって、当城跡が、古代から中世にかけての集落・山城であることが判明しており、その歴史学的重要性は不動である。また、その歴史的経緯から、当町の象徴的存在であり、指定に関して問題はない。

 ただし、中里町文化財保護条例の趣旨にのっとり、その保護を実効あるものとするために次項以下の条件を附すものとする。(後略)”

として、城域一括指定を原則とするとしながらも、各種事由によって一括指定が困難な場合は、地籍指定の形態をとることによって、1次指定(町有地)→2次指定(私有地)の段階指定が望ましいとの答申がなされた。

 これにより、中里町教育委員会は、平成4年4月17日付中教委第42号により、中里町長宛指定文化財第1号の決定通知、同20日中里町教育委員会告示第2号により告示、同日指定書第1号を交付した。なお、指定事由は以下の通りである;

 “平成4年3月現在、なお発掘調査が継続されているが、既調査によって、当城跡が、古代から中世にかけての集落・山城であることが判明しており、その歴史学的重要性は不動である。また、その歴史的経緯から、当町の象徴的存在である。”

 

4 城跡整備構想策定委員会の経緯

 平成4年4月に弘前大学村越潔教授、弘前高校佐藤仁教諭の両氏を招き、中里城跡の今後の活用及び保存方法等について協議した。両氏から城跡整備構想策定委員会の設立が提案された。 これを受けて町では、委員会設立の作業を進め、平成4年6月に、以下の7名をメンバーとする「中里城跡整備構想策定委員会」を発足させ、中里城跡整備構想策定委員会規約のもとに、整備構想の策定に着手した。

氏 名 職 名 専門分野 備  考
村越 潔 弘前大学教育学部教授 考古学 委員長
高島 成侑 八戸工業大学教授 建築学  
佐藤 仁 弘前高校教諭 歴史学  
古川 政市 老人クラブ連合会長   委員長代理
古川 健造 文化財審議会長    
友田 圭一 中里郵便局長    
北川 章男 中里町商工会専務    
事務局 中里町教育委員会、ふるさと振興課

 委員会では、9回にわたる会議を開催したほか、北海道函館市志苔館跡・江差町・上ノ国町勝山館跡等をはじめ、八戸市根城跡などの整備状況を視察した。また、町民との意見交換会(「みんなで中里城址を語ろう」)を開催して、広く町民等の意見を聞いた。

 平成5年3月町に対し「中里城跡環境整備基本構想」を提出するに至った。

 

中里城跡整備構想策定委員会規約

(目的及び設置)

第1条 この規約は、中里城跡整備構想を策定するため、中里城跡整備構想策定委員会(以下「委員会」という。)の設置及びその他必要な事項を定めることを目的とする。

 名 称 中里城跡整備構想策定委員会

 所在地 青森県北津軽郡中里町大字中里字亀山434番地 中里町役場

(任  務)

第2条 委員会は、本規約の目的を達成するために次の業務を行う。

 (1)整備構想計画に対する調査・提言・指導

 (2)計画立案に要する調査及び資料収集、それらに関する書類の作成と報告

 (3)その他必要事項の決定

(組  織)

第3条 委員会は、委員10人以内で組織する。

2.委員は次の各号に掲げる者について町長が委嘱する。

 (1)整備に関する専門家  (3人)

 (2)住民代表       (4人)

 (3)その他町が特に必要と認めた者(若干名)

(委 員 長)

第4条 委員会に委員長を置き、委員の互選によって定める。

2.委員長は委員会を代表し、会務を統括する。

3.委員長に事故がある時、または委員長が欠けたときは予め指定した委員長代理が職務を代理する。

(委  員)

第5条 委員の任期は委嘱された年の年度末までとする。但し再任を妨げない。

(会  議)

第6条 委員会の会議等は、委員長が招集する。

(庶  務)

第7条 この委員会の庶務は、教育委員会及びふるさと振興課において処理する。

(その他)

第8条 この規約に定めるもののほか、他に必要な事項は別に定めることができる。

附 則   この規約は、平成4年6月20日から施行する。

                                   (事 務 局)