博物館最新ニュース
1999/12/28
今日28日は御用納め。博物館も今日から、1月4日まで長い休みに入ります。当館は、臨時休館を設けていないため、一週間余りの長期休館は1年に1回です。1年間の開館日数は、なんと306日。冬期間は閉鎖する施設が多い中、雨の日も地吹雪の日も開館したと思えば、いささかの感慨がありますが、日夜、衆人環視の環境下にある展示資料等は、疲労の極みに達していると思われます。

そこで、今日は、新年をさっぱりとして迎えてもらうため、全館をあげて(といっても職員3人)大掃除となりました。展示資料から、展示ケースまで、一々チェックをして汚れを取り去ったり、切れた電球類を交換します(ハロゲンランプは本当に切れやすい・・・)。ガラスケース等は毎日磨いているためそんなにひどくありませんが、土製品や鉄製品類を載せておく展示台は結構な汚れ具合です。消しゴムなども総動員して、何とかきれいにしますが、さらにやっかいなのが模型類。樹木などの細かなパーツは、エアダスターか何かで埃を吹き飛ばしてやるしかありません。

それでも一日掛かかりの掃除が終わり、お供えを添えて、なんとか新年の準備ができました。来年の更なる飛躍を願いつつ、今年最後の博物館ニュースをお伝えします。今年は皆様にも本当にお世話になりました。新年も何卒よろしくお願いいたします。

1999/12/18
中里町には、空壕跡が確認できる遺跡が10前後存在し、その中のひとつが板橋遺跡、通称「赤坂館(あかさかのたて)」です。先日、青森県文化財保護指導員をお願いしている竹谷昭則先生と一緒に登ってきました。

板橋遺跡は、尾別川を臨む高台に位置し、3条の空壕が確認できます。この日は、壕底に雪が残っており、とくに確認しやすい状況でした。かつて空壕跡などから、土師器・擦文土器・鉄滓・土錘・浮石などが出土しており、これらから平安時代中頃(11世紀前後)の防御性集落と考えられています。

中里町の壕を有する10遺跡のうち、7遺跡において平安時代の遺物が確認されており、板橋遺跡同様の防御性集落と見られています。興味深いことには、そのうち5遺跡からは擦文土器が採集されているほか、いずれの遺跡も川が平野部に流れ込むあたりの台地に集中的に分布するなど、立地にも共通性が見られるようです。発掘調査を行えば、もっといろいろなことがわかるとは思いますが、保存状態が良好な板橋遺跡は、ぜひとも将来まで大切に保存しておきたいものです。

1999/12/11
先日、機会があって飢饉供養碑を見に行ってきました。中里町には飢饉供養と明記された碑はありませんが、隣町の金木には数群存在します。一つは、津軽鉄道金木駅ホーム南端の東側にある供養碑群。もう一つは、商店街から一本北側の道沿いにある供養碑群。いずれも天明・天保飢饉で亡くなった人々を弔ったものです。

岩木川下流域に開かれた金木組・金木新田の村々は、毎年のように融雪ならびに梅雨時の洪水に悩まされました。時には地震や火事などの災害も起こりましたが、もっとも人々を苦しめたのが凶作にともなう飢饉や疫病です。津軽地方では、江戸時代を通じて、何度も飢饉がおこり、とくに天明・天保の大飢饉では、多くの人々が亡くなりました。

江戸時代は、世界的に寒冷化が進行した第1小氷期(17世紀後半)・第2小氷期(18世紀後半)に相当し、霖雨・冷温をともなうヤマセ(偏東風)が多くの凶作をもたらしたと考えられますが、藩の過重な貢租や、財政を維持するための上方市場への強制的な廻米なども被害を大きくしたとされています。ところどころにある供養塔が飢饉の悲惨さを物語っています。

1999/12/3
この一週間で、季節は秋から冬に大転換。先週降った雪が、昨日朝方の雨でほとんど融けて、また秋に逆戻りかと思わせておいて、今日の地吹雪。視界ゼロメートルの世界が、いよいよやってきます。

冬になったところで、秋の企画展「江戸時代の農民たち」も終了です。正直言って、この企画展は非常に難しかったです。つまり江戸時代の農民のくらしを紹介するとなると、どうしても文献等に頼らざるを得ず、それらの内容や意味をモノに仮託することの困難さ・・・。

次回冬の企画展は、「青森県の擦文土器」がテーマで、一見取っつきやすそうな感じはしますが、それらを集めて展示して、何をどのように伝えるかとなるとなかなか・・・。来年度は、ぜひともわかりやすいテーマで、明快な企画展を計画したいものです。

今朝の冬景色 「江戸時代の農民たち」
1999/12/1
今年も後残すところ1ヶ月余りとなりましたが、中里町立博物館では去る11月27日の土曜日、10,000人目の入館者を迎えることができました。開館以来、1年と3ヶ月という年月が経過しましたが、ようやく最初の山場を越えたような感じです。

都心部の博物館や美術館の、特別展に何十万人の人出!!という現代の感覚からすれば、隔世の感のある数字ですが、「地域とともに成長する博物館を目指す当館としては大きな一歩である!!」と、来年度の予算編成を前に否が応でも力説しなければなりません。

実際は、そんなに力が入ったものでもありませんでしたが、それでも待ち遠しい1万人目は、隣村車力村牛潟小学校5年生くどうまいさん。いきなりのイベントに戸惑いながらも、記念品と招待券を手渡されてニッコリ・・・。入館者の1/3が、地元の小・中学生である当博物館は、こんな子どもたちに支えられています。果たして、2万人目は今世紀中に成るか?


98.09 98.10 98.11 98.12

99.01 99.02 99.03 99.04-05 99.06-07 99.08-09 99.10-11