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2001/9/30 | |||
今日は若干風の強い日ですが、秋らしい晴れやかな好天に恵まれました。博物館の窓から見える水田では、稲刈りにいそしむ人たちの姿が見え、収穫の秋を感じさせます。この時期になると、各地で行われている発掘調査もいよいよ終盤、あちこちで新発見の声が聞かれる季節となりました。
今日はそれらのなかから、すでに新聞発表が行われている市浦村唐川城遺跡と小泊村坊主沢遺跡の出土品を紹介します。 まず唐川城遺跡ですが、8月より富山大学考古学教室(前川要教授)によって学術調査が行われました。同遺跡は、当初中世安藤氏の有力な城館跡と考えられており、実際昨年度の調査では中世陶磁器も若干出土しているようですが、主体は古代の環壕集落であることが明らかとなっています。標高163メートルの丘陵部は、比高差も120メートルほどあり、堂々たる威容を誇っています。 山頂部は、空壕によって3つの平場に区画され、両端の区にはそれぞれ直径5メートル前後の巨大な井戸跡が存在します。今年度の調査は、南側の井戸跡周辺に広がる竪穴建物跡を対象に行われ、平安時代の土師器や須恵器、擦文土器、土錘、支脚などが見つかっています。遺物の特徴からは、10世紀の中葉から11世紀前半にかけての年代が推定されます。 |
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擦文土器破片 |
北の井戸跡 | 南の井戸跡 | |
一方、小泊村坊主沢遺跡は、小泊漁港を見下ろす海岸段丘上に位置する遺跡です。青森大学考古学研究所(葛西励所長)によって緊急調査が行われ、縄文時代や平安時代の遺物ほか、多くの弥生土器が出土しました。
とくに黒曜石製の打製石偶は、津軽地方ではほとんど類例をみないもので、北方の続縄文文化の影響を感じさせる遺物として特筆されます。 |
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打製石偶 |
坊主沢遺跡調査現場 |
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2001/8/8 | |||
今年もやってきました。「ときめきチャレンジ!!縄文体験」
夏はなんといっても土器・土偶作りに限ります。去る8/4、恒例の土器・土偶づくり教室が開催されました。目指すは「真夏の縄文人」。今回の参加者は遠いロンドンから参加した(ん〜国際的)、英語・日本語・津軽弁の3ヶ国語がペーラペラの小学1年生HARUKAちゃんをはじめ、親子・兄弟・カップルetc・・・・。 昨年と違い我が道をひた走る脱落者もなく、みんなまじめで真剣そのもの。学芸員サイトウのチョー難しーい説明にもあくびひとつせず固まったまま話を聞いていました。今回は低学年が多く、最初はどうしたものかと心配していましたが、蓋を開けてみれば何のその、みんな粘土の扱いが手慣れたもの。 トイレ休憩・昼休みもそこそこに、参加者同士対抗意識をメラメラと燃やしていました。とくに某「兄と妹の物語」。製作途中、どうみてもはじめての妹の方が上手。そこで兄、顔は笑って「おっ!!やるナー妹」と余裕をみせるものの、兄!!ピンチ!!。沽券にかかわる・・・敗北は許されない兄・・・。そこで、昨年既に製作経験のある得意の壺型で勝負を決め、やっと威厳を保つことに成功する兄でした。 今年の新兵器は「手びねり道具セット」。様々な作陶用具が詰め込まれており、おかげで(?)いろいろな技法に挑戦可能で、回数をこなすたびにみんな上手になります。 そしていよいよ次回8/18は「真夏の縄文人・体脂肪減る」をキャッチフレーズに野焼きが開催されます。今回作った土器・土偶を焼成し、縄文堝をつつき、青空の下ランチする。激しい暑さの中、汗だくのランチ。しかも食糧費が底をついた今、堝の中身は定かでありません。スリルとサスペンス、手に汗握るその模様は、追って報告したいと思います。(Ko) |
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じっと耳を傾ける参加者 |
揉み込む揉み込む |
製作開始 |
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小学5年生チーム |
孫とのふれあい |
懐かしい粘土の感触 |
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熾烈な兄弟の戦い | 例年より凝った作風が多いかも | 土偶作りは楽しい | |
2001/8/6 | |||
もう一つの火祭り「真夏のストーブ列車」
新聞等でご覧になった方もいらっしゃると思いますが、8月5日「のれ!それ!中里」実行委員会(蝦名直志委員長)・津軽鉄道株式会社(三和満社長)共催による「真夏のストーブ列車」が今年も開催されました。昨年度同イベントで青森県活性化大賞特別賞を授与されただけに、メンバーの意気も高く、3回目となる今年は、五所川原駅前で当日券の販売も行われました。今や県内有数の祭りに成長した「立佞武多」目当てに多くの観光客が集まる中、わずか20分ほどで当日券も完売となり、乗客は栃木県等遠方からの参加者も含め、過去最高の58名にのぼりました。 日もまだ高い午後4時30分、ストーブ列車が横付けされたホームではセレモニーが行われましたが、はやる参加者達は気もそぞろ・・・。セレモニー終了後、争って気温40度の車内になだれ込みます。たちまちにして体を包む熱気の塊は、目鼻口にも容赦なく忍び込んできます。締め切った車内の熱が最高潮に達した午後4時46分、ストーブ列車は汽笛一声静かにホームを離れました。早速窓が開け放たれ、いつもは生温い風も、今日ばかりはひんやりと涼風の心地がします。 やがてアイスクリームとともにストーブで炙られたスルメのサービスがはじまり、車内はビールや水割り、ジュースなどを注文する声がにぎやかに飛び交います。ほろ酔いの参加者たちの中には、もっと石炭をくべろというリクエストをするひともいたり、踊り出すひともあらわれ、すっかりお祭り気分です。40分後に到着した終点津軽中里駅ホームでは、中里町の有志による三味線演奏、ネプタ囃子演奏が繰り広げられ、何事かと集まってきた地元の人々との間で、束の間の交流も見られました。みんな名残惜しそうにしていましたが、三味線曲「あどはだり」がつま弾かれる中、ストーブ列車は再び五所川原へ向けて旅立ちました。 |
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駅前で誘致 |
ストーブ列車の勇姿 | 燦然と輝くプレート | |
青空の下煙たなびく | 乗車を待つ大勢の人々 | 三和津鉄社長のあいさつ | |
車掌さんも汗だく | 津軽三味線でお出迎え | さらにネプタ囃子メドレー |