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2001/11/27
去る25日に終了した秋の企画展「奥津軽の山しごと」についてお伝えします。津軽地域では、かつての営林署(現在は森林管理署)のもと山で働いたに人々を「ヤマゴ」と呼びますが、企画展ではかつての「ヤマゴ」たちが使用した一連の道具や衣類、作業風景などとともに、奥津軽地域に生育する樹木や、山仕事関連の文書類も併せて紹介しました。

樹木の伐採は、かつては一度に大量に伐採し、その後スギなどを植林する方法がとられていましたが、現在では自然環境に配慮して伐採量を抑えて、その後は植林をせずに自然の力で森林を育てていく方向へ転換しています。

こうした流れを受けて、国有林の管理体制も営林署から森林管理署へと統廃合され、明治以来中里地域の国有林を管轄してきた中里営林署は廃され、森林技術センターへと衣替えしました。

かつて営林署の下で山仕事を担っていた「ヤマゴ」の人たちも、伐採量の低下や、生産工程の機械化の影響によって年々減少してます。また木材関連産業も同様な状況です。

今後の山仕事は、より合理的な経営が進められていくとともに、自然保護との調和も求められていくことでしょう。また、近年ではヒバの防腐・防虫効果のもとになっている成分を利用し、石鹸やシャンプー・入浴剤・坑菌剤などの製品が作られるようになり、今後の展開が注目されています。

さて、今回の企画展では注目すべき新しい試みがなされました。それは薄市小学校の6年生(指導 泉 真一郎教諭)が手がけた津軽森林鉄道についての調査研究結果を公開したことです。

明治43年津軽半島に生育するヒバ材の大量輸送を目的として開通した津軽森林鉄道は、林業を一躍重要な産業へと押し上げるとともに、奥津軽地域の発展に貢献しました。残念ながら森林鉄道は昭和42年に廃止となりましたが、山仕事と密着していた奥津軽地域には、多くの関連資料が残されています。

薄市小6年生は、授業の一環としてそうした森林鉄道を題材とした調査研究に取り組みふるさと探検「消えた“津軽森林鉄道”を追って」としてまとめました。その内容は津軽森林鉄道誕生の背景から経過、廃止に至るまで非常に多岐にわたり、かつ綿密なものです。

過去にも紹介していますが、もともと中里町立博物館のテーマは「利用者とともに成長する博物館をめざして」です。展示構成も「インデックス展示(興味)」「ディテール展示(探求)」「バックアップ展示(確認)」「オリエンテーリング展示(道標)」とともに、「ディスカッション展示(公開)」が想定されています。

同展示は「各種の情報機器を活用して、来館者の意見や、メッセージ・研究成果などを館が中心となるワークショップサークル(ボランティア・来館者・オブザーバー等)で受け止めるシステムを構築し、それらを来館者自身の手で作り上げた展示として公表します。ディスカッション展示は常に開放されており、情報を見たり、新たに付け加えたりすることが自由にそして容易にできる体制」づくりを目指すもので、その一端が薄市小の協力により今回達成されたということになります。

来年度以降、総合学習が始まると博物館と学校の関係も一段と深まることでしょう。今後もこのような催しができる限り増やしていきたいと思います。


ふるさと探検「消えた“津軽森林鉄道”を追って」(薄市小6年生

「機関車の種類」長尾美樹・成田佳奈美

「津軽森林鉄道の歴史と当時の木材の輸送量」小野修平・葛西 大

「昔と今の林業の様子」澤田顕完

「伐採された木のゆくえ」成田大季・秋元憲一郎

「日本の森林鉄道」佐々木一哉・福士万樹郎

「なぜ、森の中に鉄道を作ったのか」成田勝寿

「今と昔の伐採量の変化」能勢美香・小寺祥子・福士淳子

「津軽森林鉄道の歴史」成田 早・福島 慶・成田知恵

「森林鉄道にかかった費用」葛西俊啓・赤石樹哉

「どうして森林鉄道はなくなったのか」成田明日香・工藤愛佳・小寺江里奈  

エントランス付近 樹齢235年ヒバ標本 津軽半島に生育する樹木
特別展示室内 運材関連資料 林業関連文書

薄市小6年生のみなさんが調べた津軽森林鉄道

2001/11/24
いよいよ学社融合推進モデル事業も、総仕上げの「発表」を残すのみ。地域の文化財を自ら調査・研究したことをどのようにまとめたか、興味津々で武田小学校に向かいます。
教室に入り、準備を進めていると、早くも子供たちがやってきます。元気よく「おはようございます」と挨拶を交わして席に着きます。はじめに発表の手順について説明し、その後は各チームに分かれて最後の打ち合わせ。模造紙を拡げて資料・写真・地図等をレイアウトしながら貼り付けます。

それでは発表の模様です。「私は見た!!五つの石碑」と題して、富野団地石碑群調査チームより、所在地の説明、自分たちが採った調査方法としてインターネット・参考文献等の紹介があります。続いて、5つの石碑にかかれている種類と内容、建立年月日等を各担当者が説明します。「猿田彦大神」「庚申塔」「甲子塔」と続いていきますが、なぜか「庚申様」と「甲子様」の説明が入れ替わってしまったところがちょっと残念でした。

続いて猿賀神社船絵馬群調査チーム。聞き取り調査をもとにいろいろな奉納理由・枚数・寸法・年代など詳細に説明するとともに、グラフを使った図もわかりやすく感じました。また図書館の利用者カードにも船絵馬が用いられていることを発見するなど工夫の跡が見られました。

般若寺イチョウ調査チーム。略図・由来・木の生態等非常によくまとめられていて申し分がありません。樹皮標本も寒さの中採取した甲斐があって見事なできばえ。すぐさま博物館に展示できそうです。

どのチームも人に伝えるという最も重要な過程を、創意工夫し自発的に取り組んだ姿勢が顕著で、とても充実した発表会となりました。(Ko)

2001/11/16
一昨日雪に見舞われた津軽地方は、今日も木枯らしが吹きすさぶ寒い日となりました。そうした中、津軽鉄道津軽五所川原駅では毎年恒例のストーブ列車一番列車出発式が行われました。

同式典は、沿線の中里町・金木町の有志による「がんばれ!津軽鉄道応援団(北川章男団長)」が企画運営するもので、10時30分より開会式が開催されました。冒頭の挨拶で沖崎副団長は「ぜひストーブ列車を市浦村・小泊村まで走らせたい」とのべ、沿線市町村の連帯感と団結を強調、続いて三和津軽鉄道株式会社社長が、沿線市町村と利用者の協力に感謝の意を表明しました。

本日の運転士・車掌さんに花束が贈呈されたあと、乗客代表の中里町薄市成田さんを交えてテープカットが行われました。車内では、車掌さんによって次々とだるまストーブに石炭がくべられていきます。音を立てながら燃え上がるストーブは真っ赤に染まり、真新しい煙突からは黒煙が吹きあがります。襟を立てながら列車に乗り込んだ人々も、その温もりに表情を和ませます。

10時55分一番列車は津軽五所川原駅を離れ、20.7キロ約40分の旅に出発しました。応援団より、シジミ汁・リンゴジュース・スルメ等を振る舞われた乗客は、偶然乗り合わせた幸運を喜ぶとともに、冬の奥津軽の風物詩を満喫していました。

今日の運転士・車掌さん 乗客も交えてテープ・カット

このラッセル車も現役

距離20.7キロ、所要時間40分 車掌さんが石炭をくべると だるまストーブは過熱
屋根の煙突は黒煙を吹上げる

昭和23年製の車両

シジミ汁に舌鼓

2001/11/11
現在開催されている秋の企画展「奥津軽の山しごと」に関連して、東北森林管理局青森分局森林技術センターの生産事業現場へおじゃましたときの模様をお伝えします。

生産事業とは、樹木を伐採して丸太にして販売するまでの工程を指します。現場は、町中から林道を自動車で約15分、かなり勾配のある北斜面の一角です。作業チームは7名編成で、それぞれ伐採・集材・造材・巻き立て等を分担しています。作業の手順はだいたい以下の通りです。

1チェンソーの目立作業(丸ヤスリで刃を研ぐ)2 チェンソーで受け口を切込む(受け口の深さと角度が浅いと伐倒方向が狂う)3 チェンソーで追い口を切り込み、マサカリの背でクサビを打つ(受け口より高い位置に追い口を入れることで、伐倒方向を確実にし、樹木の裂けを防ぐことができる)4 伐倒の瞬間(普通より高い位置に追い口を入れ、段差(ゲタ)を大きくとると、倒下速度を遅らせ材の損傷を防止できる)5 伐根の点検(伐根の観察によって、伐倒の善し悪しが判断

できる)→6 チェンソーで枝払いをする7 トラクタで樹木を牽引し集材する8 測竿(3.65m)で計測して、チェンソーで造材する9 検知作業(樹木の直径と等級を小口にスタンプする)10 フォークローダで巻き立て作業を行う(カンザシをさして崩れないようにする)

伐採対象は、大正年間に植林されたスギで直径が50〜60センチほどもあります。森閑とした谷間に、チェンソーの排気音と金属音が響き渡ります。やがて楔を打ち込む音がこだますると、一呼吸おいて、メリッメリッと木の裂ける音が・・・。

その後大木がスローモーションのように倒れ、地を揺るがすような轟音を立てながら着地、朦々と枝葉を巻き上げながら数回バウンドします。そのあとは倒れた木に乗りながら、器用にチェンソーをふるって枝払いをしていきます。あっというまに丸太の原型が仕上がります。
トラクタで牽引して、土場へ運び込んで、定寸で造材していきます。そのあと検査をして、巻き立て作業で終了です。

かなり機械化が進んでいるとはいえ、人力に頼っている面も多く、とくに伐採は非常に危険の多い仕事です。林業の大変さを実感するとともに、改めて家の柱をまじまじと眺めてしまいました。

チェンソーの目立て作業 伐倒風景
トラクタによる集材 造材の様子 フォークローダーによる巻立て
2001/11/4
10月3日は、学社融合推進モデル事業「博物館のしごと体験」3時間目です。8時30分頃、博物館を出発し、中里町富野にある武田小学校へ向かいます。時に津軽平野は見渡す限りの黄金色。ひんやりした心地よい風の中、稲穂も重たそうに頭を垂れ時々風に揺れます。田んぼのあっちこっちからはコンバインの乾いた音が響いていました。

学校に到着し、コンピュータ室で準備をしていると、ややがて子供たちがやってきて、授業が始まります。いままで調査をしてきた「富野猿賀神社船絵馬群」「般若寺イチョウ」「富野団地石碑群」の3チームに分かれて、とりあえず調査のおさらいをします。調査で実際に見て、手で触れ、聞いた事をそれぞれ発表します。

次は各チームごとに、インターネットや図書館から借りてきた文献で研究する班、標本づくりをする班、解説文・図を作成する班等に分かれて作業を進めていきます。最初に図書館員から、図書の選び方や調べ方、インターネットを利用した効率的な検索の仕方等について説明を受けたあと、いよいよ作業開始。

コンピュータの操作に戸惑いながらも、「ここはどうすればいいの?」とか「これはこっちの方がいいかも・・・」など楽しそうに相談しながら作業を進めるチームや、黙々と本を開いてコンピュータに入力していく子がいます。

一方、標本づくりの様子はどうでしょうか。まずはイチョウチーム。イチョウの樹皮を写し取った粘土型と流し込んだ石膏はすっかり乾燥しています。静かに粘土をはがして、彩色作業に移ります。写真を見ながら、絵の具を混ぜて色を作っていきます。丹念に塗り重ねていくとイチョウの樹皮模型がだんだんとできあがっていきます。船絵馬チームは、船絵馬の模型を制作しているみたいです。コンピュータで拡大した写真を切り抜き、画用紙で額を作ったりしています。

石碑チームは、前回採った拓本の裏打ち作業を行っています。机の上に拓本を裏返し、筆に水をつけて中央から外側へ空気を抜くように伸ばし、机に貼り付けていきます。つぎに糊を水で溶いて、ゆっくりと破けないように塗り広げていきます。全面に塗り終わったら、静かに凧絵用の丈夫な和紙を重ねて、刷毛でなでて落ち着かせながら密着させていきます。少し乾いてから、そっと机から剥がして新聞に載せ、あとはじっと乾くのを待つだけです。

筆など用具を洗って、机を拭いているとあっという間に時間がきてしまいました。次回はいよいよ発表です。子供たちに会うのが楽しみです。(Ka)
図書の調べ方 インターネットによる検索 レイアウトは?
樹皮模型づくり 船絵馬の模型 石碑拓本の裏打ち