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2004/1/18
岩木川こども自然体験学習会4

「岩木川雪のアニマルトラッキング」!

1月16日(日)今年度最後となる標記学習会が、NPO法人岩木山自然学校(高田敏幸代表)によって開催されました。富野さくら堤公園付近から、岩木川河川敷におり、スノーシューを装着します。スノーシューというのは、日本の「かんじき」に似た積雪歩行用の道具で、ミニスキーを二回りくらい大きくしたような形をしています。雪に足を取られることなく歩行できますが、慣れないのかつまづいて転ぶこどももいます。

5分ほど歩行練習すると、なかなか様になってきましたので、いよいよ芦原をかき分けて探検開始。結氷した岩木川が目前に迫った頃、動物の足跡を発見、資料を見ながら動物を特定します。タヌキやウサギ、キジなどの足跡であることが判明しました。足跡を追跡すると、所々に尿や糞が落ちています。オレンジ色をしたウサギの尿は、フルーティなにおいがするという高田代表の説明を受けて、おそるおそる鼻を近づけるこどもたちもいました。

川や河川敷の樹木には、野鳥もたくさん住んでいます。カワウやオジロワシなどを双眼鏡で観察しているうちに、柳の樹上に造られた巨大な巣を発見しました。あいにく主はいませんでしたが、どうやらトビなどの猛禽類の巣のようです。さらに進むうちに、ウサギに樹皮を囓られた低木を発見。付近には糞が点々と落ちています。「まだ近くにいるかも」という高田代表の言葉が終わるか終わらないうちに、真白い影が藪から飛び出してきます。驚くまもなく、もう一匹が猛ダッシュ、あっという間に視界から消えました。

慣れない足下にくたくたになりながらも、こどもたちの目は好奇心に輝いていました。普段はなかなか訪れることのない冬の岩木川で、動物たちの活動がひっそりと繰り広げられていたことに驚かされた一日でした。

スノーシューを履いて出発 タヌキの足跡発見 資料を基に動物を特定
芦野原をかき分けて進む タヌキのおしっこ発見 結氷した岩木川
ウサギのおしっこは甘いにおい? 猛禽類の巣を観察 ウサギにかじられた樹皮
2004/1/16
こども読み語り教室12

「冬の登下校」

1月15日(土)外崎令子さん(中里町宮野沢在住)を語り部としたこども教室が開催され、町内の小学生6人、宮野沢・豊岡・豊島から駆けつけた応援団15名が、昔の暮らしや通学、遊びなどを体験しました。久しぶりの晴天の中、お話しはかまくらの中からはじまりした。

ミトンのような形をした藁手袋(てぼこ)や藁雪沓、綿入れ頭巾などの冬の衣装についての話、現在よりもはるかに雪が多く、除雪も徹底していなかった当時、朝早くから父兄が家の前から学校まで踏俵をはいて道をつけてくれた話、母親の角巻きにくるまりながら通学した話、あちらこちらに「ナガレ」という吹き溜まりがあって、ところによっては電線をくぐって通学した話など、昭和30年代前後の登下校の様子を詳細に解説します。

続いては、頭巾・角巻き・雪沓・藁手袋等を試着して、それらを体験します。色とりどりの角巻き・頭巾をまとった応援団に導かれながら、踏俵によってつけられた雪道の歩き方や、踏俵やかんじき、橇・駒(ずぐり)などの昔の遊びなどを堪能しました。

後半は、長利佳代子さんを講師に、「ゆき」をテーマにした絵本の読み聞かせを行いました。

映像小:722kb大:2166kb(WMV型式)

お話しはかまくらの中から始まる 本日の応援団 本日の語り部:外崎令子さん

角巻きの中に入れてこどもを守る 角巻きと頭巾を装着した参加者 踏み俵体験
本日の参加者 講師の長利佳代子さん 「ゆき」がテーマの読み聞かせ
2004/1/8
こどもキルト教室開催!

「ネコクリップ」の制作!

現在開催中の特別企画展「−キルト作品展−にほんの心」に関連して、1月8日(土)こどもキルト教室(講師三上るみこ氏)が開催されました。今回の制作するのは、和風の端切れを利用した「ネコクリップ」。参加者21名は、思い思いの布地を選択した後、綿詰め→縫い合わせ→目・髭・尻尾等のパーツを取り付けの手順で制作。慣れない針仕事に悪戦苦闘しながらも、1時間足らずで立派なキルト作品が仕上がりました。

熱心に説明を聞く参加者 一生懸命に制作 完成品を前に記念撮影
2005/1/4
近世の塩釜?

小泊村青岩付近においてカマド状遺構現る!

12月上旬の強風高波のため、小泊村青岩沿岸の一部が削りとられ、石組みのカマド状遺構、ならびに焼土遺構が顔をのぞかせました。同遺構が発見されたのは、折腰内より北に約2qに位置する通称「冬部」付近で、現在の地表面よりも3m以上下層、現汀線からは10mと離れていない場所です。

石組みのカマド状遺構は、西側(海側)ならびに南側が失われていますが、現存長軸約2.5m、同短軸約1mで、石組みの角が弧を描くことから、平面隅丸矩形、もしくは楕円形と推定されます。炉底と考えられる部分には、礫あるいは粘土、木炭等が確認されました。出土遺物は全く見あたりません。 

波に洗われるような海辺という立地、あるいはカマドの形態からは製塩遺構とも推定されます。小泊村においては、平安時代から各遺跡で製塩土器(白砂式)が認められ、製塩が古代まで溯ることが確実ですが、県内各所で発見されている当該期の製塩遺構とは形状がやや異なるようにも見受けられます。

一方、『小泊村史(中巻)』では、寛政8年(1796)に小泊を訪れた菅江真澄の「青岩ノ崎、屋形石などしほがまふたつ過ぎて(『そとが浜奇勝』)」という記載をはじめ、古川古松軒・松浦武四郎等の旅人が、当地における塩釜の存在を記していることを紹介しています。また寛政5年(1793)に来訪した水戸藩士木村謙次も「ヤカタ石ヒヨベオリコシ内ナト二里ハカリノ無人ノ地只焼塩ノ小舎二三所アル所ヲ経テ小泊ニ至ル(『北行日録』)」と記しており、近世において盛んに製塩が行われていた様子がうかがえます。

とくに菅江真澄の「青岩ノ崎」、木村謙次の「ヒヨベ」は、今回遺構が発見された「冬部」に比定されます。また小泊村柳沢良知によれば、地元では同地点を「シオベ」とも呼んでいるそうです。これらの状況証拠から、当該遺構が近世の塩釜である可能性も考えられますが、詳細は今後の調査によって明らかになることでしょう。願わくば、雪が消える時期まで残存していてほしいものです。

削り取られた海岸 石組みのカマド状遺構 至る所に残された焼土遺構

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