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2003/1/15
博物館こども教室「スノーマンをつくろう!」開催

平成15年1月11日(土)博物館作業室において、こども教室が開催されました。当日は、飛び入りも含めて、合計23名の子どもとお母さんが参加しました。冬休みも終わりに近づいた頃でもあり、ここで作ったものを冬休みの課題にしようと張り切って参加した子も多かったようです。

今回は、「スノーマンを作ろう!」ということで、現在開催中の特別企画展へ出品している「キルトの仲間たち」(三上るみこ先生ほか)に講師をお願いしました。先生はいろんな色の材料を準備していて、子どもたちはどの色にしようかとても迷っていました。スノーマンの本体に箸で綿を詰めて縫い合わせ、洋服と帽子を縫いかぶせて完成。早い子だと小一時間ほどで作ることができました。

針と糸を使うのが初体験の子もいましたが、みんな完成したものに得意気の表情でした。なお、特別企画展「ハッピーキルト」は2月16日(日)まで開催されます。

どの色にしようかな・・・

スノーマンの部品です

女の子も・・・

男の子も・・・ あともう少しで完成! やった完成したよ
2002/12/27
博物館土曜講座5 わたしが見た「奧津軽」岩木川のものがたり

12月7日(土)中里町総合文化センターパルナス研修室において、塚本恭一氏を講師に招き、博物館土曜講座が開催されました。同氏は、中里町長を長期に亘って勤め、約半世紀近く町政に携わってきました。まさに中里町の歴史の生き証人と言っても過言ではないかと思われます。今回は、ご多用中且つ体調もあまり優れぬ中にもかかわらず、快く講演を引き受けて下さいました。

講演では、世界ではエジプト文明はナイル川、インダス文明はインダス川、メソポタミア文明はチグリスユーフラテス川、黄河文明は黄河と、川が四大文明の発展には必要不可欠なものであったことを紹介し、私たちが住むこの津軽の今日の発展も岩木川の賜物ではないかとの問いかけで始まりました。

続いて十三湖岩木川の関係性の深さについて述べられました。十三湖の水戸口が閉塞すると甚大な被害を近隣市町村にもたらし、その災害は記録によれば藩政時代三代藩主信義の頃から昭和の改修工事が終わるまで続いたとのことでした。水戸口が閉塞すると岩木川が氾濫逆流し、十三湖沿岸に湖水が停滞し、またその周辺の支川までもが同じような被害を受けて長く津軽地方の人々はこの水戸口が閉塞を恐れていました。

実際、塚本氏もその岩木川が逆流し、まさに川が決壊する寸前のようすを目にしたとのことですが、その轟轟たる川の爆音と、今にも溢れんと迫り来る水量の多さには、あれほど恐ろしい光景はいままで見たことがないと思い出を語られました。最後に鳥谷川を利用して、稲穂を小船で運ぶ人夫の作業風景を写した貴重な写真を公開したところ、受講者のみなさんでも年配の方などは昔の情景を懐かしんで感嘆の声をあげられていました。

現在の岩木川は、明治時代のお雇い外国人ムルデンや内務省技師長浜時雄ら多くの人々の尽力によって今の穏やかで安全な岩木川に変貌しました。ただ、現代においてはこの変貌により新田開発が発展した反面、十三湖が浅くなったため従来盛んであった舟運が衰退してゆきました。今回公開した鳥谷川の写真をみるほどにそのことが残念に思われますが、それもこの岩木川の歴史のひとつとして後世に語り継いでゆくべき課題だとも感じました。

講座修了後、小寺教育長より修了書を手渡された受講者は、喜びの声とともに再会を誓い合ってそれぞれ帰途につきました。最初は、受講者がどの程度集まるか、見当もつかなかった博物館土曜講座でしたが、回を重ねるごとに受講者が増え、最終的には50名近くに達しましたまた受講者も、中里町を中心に、弘前市・五所川原市・金木町・車力村・市浦村・小泊村・今別村等、きわめて広範な市町村から参集いただきました。今後も、博物館では地域をテーマとした講座を計画していくつもりですので、是非ともご参加くださいますようお願い申し上げます。それではよいお年を・・・(Ar)

2002/12/1
博物館土曜講座4 旅人たちが見た「奧津軽」管江真澄等―

11月30日(土)中里町総合文化センターパルナス研修室において、佐藤仁先生を講師に招き、博物館土曜講座が開催されました。佐藤先生は、歴史地理学・金石造文化財の研究を続ける傍ら、青森県文化財審議会委員ほか、青森県文化財保護協会副会長等を務め、文化財保護活動について熱心に活躍されています。今回は、ご多用中にもかかわらず、第1講目に引き続き再度の登場となりました。

講演では、五所川原以北、金木・中里・市浦を経て、小泊に至るまでの近世「下之切(中通)」を歩いた人々の記録の紹介から始まり、それらからうかがわれる奥津軽の様子や、変遷について述べられました。

江戸時代前期は、奥津軽を旅した人々の記録が少ないものの、松前藩主の参勤交代においては、外ヶ浜地方を通過する経路が主体ですが、津軽海峡の潮流の関係で小泊村に上陸する例も見られたこと、将軍の代替わり毎に実施される巡見使の弘前藩通過経路が時代とともに異なり、一行が下之切(中通)を通った際は、対応が大変であったことなどをユーモアを交えて紹介されました。

また、弘前藩主による巡見も数多く行われ、とくに四代藩主信政は足繁く下之切地方を訪れていますが、それは新田開発の進展と表裏一体であることを解説、また十二代藩主承昭巡見時の記録「御道割明細(弘前市立図書館藏)」に記載されている、当該地方の村々の詳細について解説されました。

江戸中期に訪れた、菅江真澄「外浜奇勝」「邇辞貴廼波末」)や木村謙次「北行日録」)、後期に訪れた吉田松陰「東北遊日記」)・岡本青鵞「中通」)などの紀行文や記録からは、当時の奥津軽の様子や生活ぶりががかなり詳細にわかるとともに、上方商人の記録である「津軽見聞録」や百田村(現弘前市)百姓勇助の津軽三十三観音巡礼記録「納経帳」からは、当時の庶民の旅の在り方が伺われました。

最後は、スライドを利用して、「御国中道程図(国立史料館蔵)」や街道筋の写真・絵図・石造文化財を中心に、下之切道の旅を再現し、まとめとしました。

江戸時代前期においては、「藩主」「巡見使」以外、奥津軽の旅に関連した史料は少ないものの、次第に伊勢参りや三十三観音等民間信仰の盛行にともなって、いろいろな庶民の旅の記録が散見されるようになり、不自由な「旅」・大変な「旅」から、楽しい「旅」へと変わってくる様子がわかりやすく説明され、2時間があっというまに過ぎました。飛び込みの参加者も含めて定員オーバーとなった本講座も、最後は惜しみない拍手で幕が閉じられました。(Ju)