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2003/8/23 | ||
8/23(土)おやこ文化財教室「博物館文化財教室B 琥珀・勾玉を作ろう!」を開催しました。総勢16名の子どもとお母さんが参加し、琥珀・勾玉づくりに挑戦しました。 遺跡から出土する琥珀や勾玉について学習したあとは、いよいよ琥珀づくりです。持ち寄った虫やビーズ・写真などをシリコン型にいれ、慎重に絵の具を溶かしたアクリル樹脂を封入します。 プリクラや海から拾って来た小さなガラスを持ってきた子、ビーズや植物のクローバーをいれた子もいて、ここは腕のみせどころ。色とりどりのオリジナル琥珀製品にみんな大満足でした。 つづいては、勾玉づくりです。滑石製の石材に輪郭を描き、竹の棒で穴を開けます。一生懸命手をこすり合わせること、約1時間、ようやく貫通します。あとは、紙ヤスリで丁寧に整形してできあがり。仕上げに水ヤスリで磨いて、少し油を塗ってやるとピカピカに。すてきな作品が完成しました。 |
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2003/8/13 | ||
去る7月5日(土)岩木川子ども自然体験学習会が開催されました。2回となる今回のテーマは「岩木川の自然と歴史を訪ねる」。 総勢12名の参加者は、パルナスで国土交通省大泉さんによる外来種の生物、塚本元町長による岩木川の治水やくらしについて説明を受けた後、博物館で岩木川の歴史や文化を学びました。 その後は、岩木川流域沿いに、ゴイサギのコロニーを観察したり、岩木川の改修工事に尽力した小野忠造碑等を見て回りました。 午後は、富野猿賀神社を訪れ、佐井川住職より、船絵馬・般若寺イチョウ等岩木川水運に関連する資料群の説明を受けました。一行は、その後も十三湖囲繞堤や水戸口突堤を見学するなど、多彩なメニューを精力的にこなしました。 |
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川舟に見入る子供たち | ゴイサギ観察 | 小野忠造碑の前で |
富野猿賀神社船絵馬の説明 | 般若寺イチョウ | 水戸口突堤 |
2003/8/1 | ||
7月26日(土)大地の恵み体験2回目「草取り・案山子づくり」を開催しました。総勢19名の子供たちが参加しました。 今回は体験することが盛りだくさんで、まずはじめに博物館で案山子を作ります。子供たちはミニチュア案山子を作ります。これは各自家に持って帰ります。次に博物館職員が作った大きな案山子をみんなで博物館の水田に立てに行きます。その際田んぼで稲の生育状況を観察すると同時に、水田に住む住む生き物の観察と、昔の農具(除草機)を使った草取りの実演をしました。最後にみんなで手で水田に生えている草を抜いてきました。
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盛況のかかしづくり | 骨組み | 衣装を着せて |
顔を作る | 男の子も参加 | 完成 |
除草 | タニシゲット | 博物館かかし |
2003/7/20 | ||
7月1日〜3にかけて、青森県立中里高等学校2年生8名が,インターンシップ(就業体験)のため図書館と博物館に来館しました。初日午前中は、開館準備の後、博物館の外部収蔵庫の掃除と整理。思わぬ力仕事に、生徒達は汗びっしょり、埃まみれ。午後は、博物館資料の取扱いや記録・調査の仕方を学び、収集保存・調査研究活動の大変さを体験しました。
2日目は、昨日調べたことを基に解説パネルづくり。図書館で文献を引きながら作成します。その後は、企画案作り。企画書・ポスターを作成します。写真を切り貼りしたり、文案を練ったり大忙しの一日となりました。最後は、発表の時間です。自らが作成した企画書・ポスターを基に、みんなの前で企画展の特長や対象などを説明します。緊迫した空気の中、ユニークな企画展が次々と発表され、その都度盛んな拍手が寄せられていました。 |
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収蔵室の大掃除 | 整理整頓された収蔵室 | 掛軸の取扱 |
生徒が撮影した資料 | 緊張の一瞬 | |
生徒達の作品 | ||
2003/7/14 | ||
大分前に実施された、聞取調査の模様をお伝えします。3月6日中里町立博物館において、岩木川周辺の自然環境と生態系の変化をテーマとした聞取調査が行われました。出席者は、弘前大学の東信行先生ならびに竹内健吾さん、中里町からは塚本恭一・秋元新一・三上光則の各氏が出席しました。以下は、当日の座談の模様です。
-------------------------------------------------------------------------------- 秋元:昔は、若宮部落にも獲る人がいた。 塚本:現在は長泥地区の人たちが中心。 三上:昔は十三湖水の逆流によって、下流域は流れが緩やかになるため、流れのある上流地点に集まった。 秋元:現在は河川改修のため流れの速い所がなくなってきている。昔は、ロープをはりワラを流して集まる所にドウ(ウケ)をしかけておき、そこにヤツメウナギを誘い込む。 三上:あまり浅いところだとダメ。川の蛇行のカーブの深いところにしかける。 秋元:昔はドウを仕掛けることについて、権利争いや場所争いもあった。 調査員:昭和に入ってからの治水工事で川が浅くなったが、それがヤツメウナギの減少と関係があるか? 秋元:家庭排水等による水の澱みが原因と思う。一番の原因はダムの建設にあると思う。 三上:現在の川の深さは12尺もあればよいほう。 秋元:ヤツメウナギの減少は、ダム・農薬・家庭排水に原因があると思う。ダムのないときは、川が氾濫し、決壊するほどの水の流れがあったが、現在はそれがないので汚水で澱んでいる状態。漁も現在は以前ほど盛んではなく、漁の好きな人だけ行っている。 調査員:以前はどのくらい獲れていたのか? 三上:しかけ1つにつき30〜40匹。今はなにも入っていないときもある。ドウに以前はいっぱいの時もあり、昭和40年前後が一番捕れていた。 秋元:ドウは大きければ多く取れるという物でもない。 調査員:何を食べている? 三上:プランクトンが主。生命力はかなり強い。(後の調査によると、産卵期のヤツメウナギは餌を食べないそうです。) 調査員:生態としては春先に海から産卵のために川に上ってくる。 三上:以前小学校の生徒が川に生簀を作って養殖してみたが出来なかった。 調査員:アメリカなどではむしろ嫌われていた魚で養殖などもできたためしはない。 三上:太平洋側では獲れず、日本海側でのみ獲れるようだ。 調査員:最上川の酒田では獲れなくなった。下北の大畑川では現在も電気を流す漁法で獲っている。この川は河川改修が入っていないというのも獲れる要因となっているのでは。今、岩木川では河川改修で産卵の場がなくなってきているのも獲れない原因のひとつでは。農薬による被害は少しずつ改善されているが、むしろ河川改修によるのも原因のひとつになっていると思われる。 三上:ごみ問題もある。スーパーなどの買い物袋がよく漁の仕掛けにかかる。あと、ロープに引っ掛けて仕掛けの土台となる柳の葉なども上流から流れてこなくなった。 調査員:広葉樹などの上流から流れてくる葉っぱなどの栄養分は魚が育つために必要。現在がそれが堰きとめられている。三陸ではカキの養殖のために山に植林している。山に木がないと海に栄養分が流れず魚介類も育たない。川のそばに生えている木なども重要。 秋元:ヤツメウナギの需要は現在もある。 調査員:川の環境をよくすれば必ず戻ってくる。また、ヤツメウナギは魚より原始的な生き物で深海にすむヌタウナギと同じ仲間。主に肉食で、有機物を含まない泥を食べているものもいる。 三上:今の岩木川には、昔見たことがないような魚も入ってきている。例えば、ナマズの変形したようなものも仕掛けにかかっていたりするがとても食用になるものではない。 調査員:現在の岩木川は半分が外来種、ここ20〜30年ほどで小さい魚はいなくなった。産卵場所は目屋ダムの下、平川と岩木川の合流地点かと思われる。アユ・ウグイ等がそこで産卵している。泥水には産卵しない。 秋元:一番獲れるのは今頃。 調査員:ナマズももしかしたら外来種の可能性。ウグイは多い。常時淡水に生息するスナヤツメもいて、青森県が北限となる魚もいる。同じく産卵のため海から川に上ってくるイトウが岩木川では絶滅した。喜良市などアイヌ語のイトウを意味する地名が残っていることから昔は多くいたと思われる。 三上:マブナもいなくなってしまった。 調査員:マブナとは1000匹中何匹かが雄なだけでほとんどがメスの魚。 秋元:ヤツメウナギの蒲焼きを作ってきたので、食しながら続きを・・。
以下、秋元氏持参のヤツメウナギをごちそうになりながら、岩木川に関する話題が続く。 ・ アシガヤはオオセッカの繁殖地。(青森県が全国の生息地の70%) ・ 岩木川は川の規模に対してサケ・マスの数は少ない。 ・ カド=河骨(黄色い花が咲く)町史には武田の人は飢饉の時常食し、浮腫ができたとある。(薬草?) ・ サルケ:水中植物が腐食したもので、泥田のなかにある。昔は燃料として利用した。 ・ 魚の奇形は少なくなってきている。 ・ 十三湖のハクチョウも藻がなくなり飛来してこなくなった。 ・ ネゴ(緑色の平べったい葉)も生息しなくなった。 ・ ドウは2〜3年で消耗。カヤが原料。 ・ ヨシズ=こもあみ ・ ガマ:昔は繊維工場があった。(現在は閉鎖) ・ ヤツメウナギの調理法:ぶつ切りにして煮る。又は蒲焼。 ・ ミノイ=にごい(こいに似ているから)は泥臭くて食べれない。 |
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座談の模様 |
ヤツメウナギの蒲焼き | ヤツメウナギ |
2003/7/7 | ||
青森県教育委員会は、県文化財保護審議会の答申を受け、4月3日付で「中里城遺跡」を県史跡に指定しました。同遺跡は、昭和63年度以来の発掘調査の結果、柵列跡・空壕跡等によって囲まれた平安時代の集落(環壕集落)跡であることが判明しました。平安時代の環壕集落は、東北地方北部から北海道南部にかけて数多く分布することが知られていますが、そのなかでも中里城遺跡は規模が大きく、保存状態に優れていることが評価されました。 | ||
6月24日(火)青森県教育委員会教育長代理として来町した庄司文化財保護課長より、指定書を交付された小野俊逸中里町長は、「今後も責任を持って史跡を管理し、後世に残したい」と決意を新たにしていました。
「中里城跡史跡公園」は、今年度春に表示板を一新、今頃はサツキの花も見頃となります。散策がてら古代の雰囲気を満喫してみませんか。 |
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2003/7/1 | ||
6月21日(土)「博物館文化財教室@拓本をとろう!」が開催されました。前回見て回った石碑(大沢内墓地附近にある「二十三夜塔」ほか)の拓本をとりに行く予定でしたが、前日からの雨で状態が悪く、今回は博物館の中での教室となりました。
最初に、「拓本」という耳慣れない言葉の意味を説明しました。拓本は、中国で発明され、日本には江戸時代頃に伝わったとされています。拓本は、石碑や金属器・土器などを原寸大で記録することが可能であり、肉眼や写真では読みにくい文様や文字が解読できる場合もあります。 |
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拓本の技法は、乾拓法・間接湿拓法・直接湿拓法に分けられます。まずは、十円玉でこの三種類の方法を練習し、それぞれの特徴や見え方の違いなどを学習しました。つづいては、本番です。レプリカの考古資料や鉄瓶・鏡などを選んで、間接湿拓法で拓本を採っていきます。 大きさに合わせて画仙紙を切り、場合によっては切り込みを入れてやります。つづいて軽く湿らせた脱脂綿で、やさしくはりつけていくとともに、所所に残った空気を、脱脂綿を押し付けて抜いていきます。ここからは、生乾きの状態になるまで一休み。乾いたら、タンポに油墨をつけ、もう1つのタンポとすりあわせます。そして画仙紙上からやさしくタンポでたたいていきます。ムラ無く打ち終わったら、ゆっくりとはがして、電話帳にはさんで乾燥させます。完全に乾いて、しわが伸びたら完成です。 と、口で言うのは簡単ですが、初めての子たちは悪戦苦闘。画仙紙が破けたり、指が墨だらけになりながらも、一時間後には、ようやく各人が納得する作品が仕上がりました。翌週には、全員にそれぞれが採った拓本入りの修了証が渡されました。 |
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拓本の歴史 | 画仙紙を切る | 水で貼り付ける |
レプリカの石版 | 鉄瓶は難しい | 鏡の拓本もご覧の通り |
子供たちの力作 |