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2002/10/24
秋の企画展「−奥津軽を駆ける鉄たち−津軽鉄道と津軽森林鉄道」が開幕してから、ほぼ1ヶ月が経過しました。追々展示品等を紹介していきたいと思いますが、今日は展示の目玉である「津軽鉄道沿線模型」を紹介したいと思います。

同模型は、Nゲージ(軌間9mm)で、車輛の縮尺は1/150となっています。全長は約10m、津軽中里駅から津軽五所川原駅までを正確に復元しています。

また稲穂が揺れる津軽中里駅周辺や桜吹雪の芦野公園駅、毘沙門の森など、四季折々の風景を表現しており、津鉄に乗ったことのある人はもちろん、装でない人も楽しめる内容となっています。

実はこの大模型、中里町で歯科医院を経営している山口錬氏が製作したものです。盆過ぎから着手し、約2ヶ月半で仕上げました。その過程をご紹介します。

なお、車輌走行映像はこちらから 五所川原発WMV形式:1,432kb /津軽中里発WMV形式:1,487kb

桜の芦野公園駅

発泡ウレタンで地形を成形 レールのレイアウトを決める テスト走行

草木の貼り付け 土堤の完成 製作風景

津鉄中里駅の製作 博物館内で最終組立 背景写真を貼り付けて完成
2003/10/13
10/13(月)津軽鉄道ならびに中里町立博物館において「−奥津軽とともに75年−津鉄シンポジウム」が開催されました。津軽五所川原駅に集合した77名の津鉄ファンは、津軽鉄道工藤機関区長の案内で、車両や機関区内を見学。普段は覗くことのできない津鉄の楽屋にみなさん興味津々でした。

10:22発車のストーブ列車内では、佐藤仁氏(青森県文化財保護審議会委員)による「津軽鉄道の歴史と風景」と題する講演に耳を傾けました。講演は、車窓に流れる風景に合わせて行われ、廃止された一野坪・下岩崎停留場跡や各駅に留置された車輌群の説明や、津軽鉄道の取り組みなど、津軽中里駅に到着するまでの36分に及びました。

博物館に到着した後は、佐藤氏撮影のビデオ「在りし日の車輌群」(昭和39〜51年撮影)を上映、懐かしい沿線の風景に歓声が上がりました。

駅弁による昼食後は、山口錬氏による「模型走行会」を挟んで、シンポジウム本番。佐藤氏の司会進行により、4人のパネリストが次々と津軽鉄道の思い出を披露、触発された参加者からも多数の秘話や提言が飛び出すなど、白熱した討論が2時間にわたって繰り広げられました。

最後は、沿線全域を「文化財」として、地域住民の手によって保護・活用していこうという佐藤氏の提言で締めくくられ、熱気冷めやらぬまま閉会を迎えました。

*当日の資料の一部はこちらから  「思い出」で綴る津軽鉄道の思い出(A4/17頁:PDF1,772kb)

*津軽鉄道沿線模型走行映像はこちらから 五所川原発WMV形式:1,432kb /津軽中里発WMV形式:1,487kb

津鉄機関区見学会 ストーブ列車講演会 ビデオ上映会
模型走行会 シンポジウム 参加者
2003/10/11
10/11(土)博物館こども教室「大地の恵み体験」が開催されました。今回は総勢8名の子供たちが参加し、稲刈を体験しました。

春に植えた苗は、自然農法と指導してくれた産業課の皆様のおかげで冷害の影響も少なく立派に実りました。秋晴れの下、子供達はドンジャを着込んで、高学年は鎌、低学年は剪定鋏を手に刈取作業を開始。

意外に手際のよい子供達の仕事ぶりに、稲穂が波打っていた3坪余りの体験田は、あっという間に切株だらけに・・・。米を乾燥させるための「シマタテ」をしてようやく終了。

汗いっぱいの子供たちは、かつての農家の大変さを身をもって感じていたようです。11月は秋仕舞いをして、いよいよ収穫祭。新米の味が楽しみです。

田植え(5/24) 6/7 6/21
7/6 草取り(7/26) 8/12
9/18 そして10/11 稲刈り開始
汗を拭き拭き 手を休めず 島立ても完成
2003/10/05
10/4(土)おやこ文化財教室が開催されました。今回のテーマは「津軽森林鉄道の軌道跡を探してみよう」

明治42年(1909)に開通した津軽森林鉄道は、昭和42年(1967)の廃止までの48年間に、162.6万立方メートルの木材を輸送しましたが、自動車輸送の普及に伴って姿を消していきました。

直線的に延びる軌道跡は、廃止後も道路水路として再利用され、ところどころに橋脚隧道も残されているものの年々その姿が見えにくくなってきています。

今回は、実際に車両が走っていた軌道跡を辿りながら、痕跡を探してみました。あいにくの雨にもかかわらず、金木町立歴史民俗資料館前の森林鉄道車両を見学したあとは、中里町内の軌道跡をトレース、相内支線との分岐点である今泉停車場(貯木場跡)まで行ってみました。

貯木場跡附近には、レール枕木トロッコ車輪が残されており、総勢11名の参加者は驚きの声を上げていました。

真直に延びる軌道跡とレール

ディーゼル機関車 軌道跡に落ちていたレール 掛軸の取扱
2003/10/02
精魂込めてバケツで育てた稲を持参した市浦小学校5年生23名が来館しました。さっそく、農着に着替えて、現在の秋仕舞いについて解説。コンバインで収穫して乾燥まで機械でやってしまいます。2日あれば終了ということですが、かつてはすべて手作業で1ヶ月以上かかりました。昔の農作業の様子やワッパク(一日の作業ノルマ)について説明を聞いたあと、いよいよ体験開始。

大事な稲を手に、江戸時代の発明品千歯扱きから体験です。歯の間に、穂先を引っかけて引きます。そうすると籾が茎から離れてバラバラと床に散らばります。結構力がいるのか、子供達は大変そう。つづいては、大正時代に発明された足踏み脱穀機。当時の最新農具らしく、効率は圧倒的。稲束を捻るように歯先に持って行くと、あっという間に籾が散乱していきます。ただし足踏みのタイミングがやや難しいか。

次は、籾押し棒で、完全に籾と穂を分離、にかけて選り分けます。さらにチエとばしという、3枚の羽のついた扇風機のような農具で塵芥を飛ばします。ここまでの作業で、籾は両手で掬える程度に・・・・。唐箕にかけて、さらに選別。実の入った重い籾は手前の出口から、軽い籾は隣の出口、実の殆ど入っていないシイナや籾殻は、勢いよく外側に飛び出してきます。

つづいては、籾殻を外す籾摺り作業ですが、土摺臼が故障中ですので体験はお休み。玄米になったと仮定して、俵詰め作業です。一斗升で計ったら、漏斗状の道具を俵に差し込み入れてやります。サンベシと呼ばれる蓋をして完成です。

以上で秋仕舞いは終了ですが、参考までに精米作業も体験しました。竪杵で搗いてやりますがこれも結構大変。わずか1時間強のスピード体験でしたが、昔の農作業の大変さは実感してもらえたと思います。

足踏み脱穀機体験

唐箕体験 搗き体験
2003/9/10
9月6日(土)〜7日(日)岩木川子ども自然体験学習会が開催されました。3回となる今回のテーマは「岩木川の水鳥になろう」。ちょっと不思議なテーマですが、実はカヌーで岩木川を下りながら水鳥の目線で見た岩木川の自然のすばらしさを体験してみようという意味でした。

1日目はあいにくの雨模様。急遽予定を変更して、岩木川の上流から下流までバスで見学することになりました。西目屋村の白神ビジターセンターを起点に、途中野鳥の観察や、水質調査などを実施しながら、河岸を下流に向かいます。

目屋の辺りでは、カヌーの大会も開かれるほど激しかった流れが、平川・浅瀬石川と合流する藤崎周辺では緩やかな流れに変わり、五所川原以北ではどっちに流れているのかわからないほどになります。そうしたパノラマを堪能しながら、今日の宿泊地市浦村中島に到着したのは日も暮れる頃でした。

最初はぎこちなかった子供たちもバスの中でおしゃべりすることで仲良くなれました。市浦村中の島キャンプ場では、カレーを作って楽しい晩ご飯。食器洗いも、なるべく水を使わない方法を教わりました。明日の晴天を念じながら就寝。

翌日は、風がやや強いながらも快晴となりました。木造町新津軽大橋付近から、カヌーを降ろし、いよいよ乗船。最初は、流れもあり順調に進みました。水面を飛び立つ水鳥の羽音や、緑豊かな沿岸の風景など、陸から眺める風景との違いに、子ども達は興味津々。

しかしながら三好橋を過ぎた辺りから、流れが澱み始め、漕がないことには全く進まない状況となりまし。それでも子供達は最後の力を振り絞って、必至でオールを操作しす。ようやく上陸した頃にはへとへとでしたが、おやつを食べる頃には漕ぎ疲れも何のその、晴天の下歓声が響き渡る一日となりました。

恨めしい雨空

サンプルを取水 上流と中流では?

野鳥の観察

本日の宿舎 夕食はカレー
待ちに待った夕食タイム 溜水を使ってすすぎ 闖入者に驚くゴイサギ
流れは次第に緩やかに もうへとへと でもすぐに元気回復
2003/9/1
9月1日(月)中里町立中里中学校への出前授業がありました。テーマは「中里町の歴史と風土」。中里町はどのようなまちなのか?古くは縄文時代から岩木川改修工事で苦労していた現代までの軌跡を、スクリーンに映像を映しながら解説しました。
最初に、「作家達が見た津軽の風土」と題し、太宰治五木寛之等奥津軽を旅した人々の作品を紹介しました。いろいろな作家が津軽のことや津軽人について述べていますが、共通しているのは広大な津軽平野に対して、安堵感にも似たまぶしさ・明るさを感じていることです。私たち津軽に住むものはどうしても津軽が本州の袋小路、行き止まりという印象を持ちますが、他地方に住む人々にとっては、むしろ十三湖を経て、遠く広大な北方世界や大陸へ開かれた玄関のように感じられるのかも知れません。

つづいては、「西北五地方」のはじまりと題し、現在の五所川原市・西北津軽郡のまとまりというのは、実は鎌倉時代前後の郡制による「西浜」とほぼ一致し、意外に古くから認識されている地域の括り方であることを説明しました。

その上で、最初の集落が出現する縄文時代前期から、近現代までのあゆみを、@「潟」の時代―第T発展期―/古十三湖と縄文のムラ、A「山」の時代―第U発展期―/蝦夷と防御性集落、B「川」の時代―第V発展期―/岩木川水運と新田開発と、大きく3つの発展期に分けて解説しました。

中里の歴史を上映

残暑のさなか、熱気のこもる体育館での、約1時間にわたる授業でしたが、生徒達は熱心に聞いていました。

機会があれば、またおじゃましたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

暑いなかでの一時間

最後は拍手でお別れ