謎の遺物−錫杖状鉄製品と提子1−!
遺跡の発掘調査をすると、多くの場合遺物が出土します。そのなかでも、土器や石器ほか、土製や石製の道具など本来の形状を保っている遺物については、使用時の痕跡、歴史史料や近現代の民具などとの比較によって、ある程度機能・用途を推定することができます。一方、破損や摩滅あるいは経年変化等により原形を失っている遺物、あるいは「第三の道具」などと称される技術や生産に直接関わらない祭祀具などの遺物は、比較対象が残っていないかぎり、その使用法は想像の域を出ないことになります。
また単純に類例の少なさに起因する認識不足や、発掘時は未知であったことに由来する用途不明遺物ももちろんあります。今回は、そうした諸々の理由によって、発掘調査時には用途が想像だにできなかった謎の遺物についてご紹介します。
中泊町中里地区の中心部丘陵に位置する中里城遺跡は、縄文時代・平安時代・室町時代・江戸時代の遺構遺物が検出された複合遺跡ですが、主体は集落として利用された平安時代と、城館として利用された室町時代になります。昭和63年(1988)より平成9年(1997)まで断続的に発掘調査が行われ、多数の遺物が出土しました。
その中には当然、用途が不明な遺物が含まれますが、とくに担当者泣かせなのが金属製品です。殆どが破損しているうえ、錆によって原形を留めないものが多いからです。また土器や石器ほどには研究が進んでいないといった状況もあるでしょう。
平成元年(1989)平安時代の竪穴建物跡03号近辺から出土した2点の鉄製品もそうした遺物の一つでした。分厚い錆に包まれたその鉄製品は、当初は同じ種類の物だとさえ分からず、報告書では片方のみを三足状を呈する用途不明鉄製品と記載しました。報告書刊行後しばらく経ってから、博物館展示用に軽く錆を落としてみると、三足状に見えていたのは、実は棒状の柄と、そこからあたかも山羊の頭部のように二股に分かれた部分であることが判明しましたが、用途は相変わらず分かりませんでした。
それからまたしばらく経って、これらが「錫杖状鉄製品(しゃくじょうじょうてっせいひん)」などと呼ばれる遺物だと理解したのは近年のことです。平成7年(1995)八戸市上七崎遺跡の報告書が刊行され、壕切によって区画された平安時代の集落から、「杖頭状鉄製品」という特異な形状の鉄製品2点が、ほぼ完全な状態で出土したことが明らかになるとともに、過去にも蓬田村蓬田大館遺跡あるいは六ヶ所村弥栄平(4)(5)遺跡から出土していることがわかりました。
その後も新発見や再発見が相次ぎましたが、井上雅孝氏の広範な研究によって、これらの鉄製品は「錫杖状鉄製品」と位置づけられ、神仏習合の要素をもった雑密系の祭祀具の可能性があり、古代の青森・岩手両県を中心に約60点の出土例があることが明らかとなりました(井上雅孝 2002「錫杖状鉄製品の研究―北東北における古代祭祀具の一形態―」岩手考古学第14号,井上雅孝 2004「錫杖状鉄製品の研究(2)―分布に関する諸問題―」岩手考古学第16号)。 |