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2009/5/18

速報!3件の文化財が町指定となる!

本日、中泊町教育委員会は、今年4月28日付けで中泊町文化財審議会(村越潔会長)が答申を行った「西願寺青玉」(有形文化財)・「阿弥陀如来像貞伝金仏」(有形文化財)・「津軽伝統 金多豆蔵人形芝居」(無形民俗文化財)の3件について、町文化財に指定することを決定しました。

「西願寺青玉」は、小泊地区の旧家に伝わったもので、数珠に改装されているものの、原型は中近世のアイヌ民族によって珍重された「タマサイ」もしくは「シトキ」と考えられます。山丹交易によってもたらされた可能性があり、近世の小泊地区が、漁場経営や交易を通じて、蝦夷地と関わりが深かったという歴史・地域特性を物語る資料として重要なものと判断されました。

「 阿弥陀如来像貞伝金仏」は、東津軽郡今別町に所在する浄土宗本覚寺第五世住職貞伝上人(1690〜1731) が晩年に製作した鋳銅仏であり、一般的には「貞伝仏」「万体仏」等の名称で知られます。中泊町町内では現在のところ7体確認されており、うち4体が指定済となっていました。近世漁民・船乗り達の信仰の在り方が伺われる貴重な文化財といえるでしょう。

「津軽伝統 金多豆蔵人形芝居」は、明治40年(1907)つがる市(旧木造町)亀ヶ岡の野呂粕次郎(英昭)によって創始された津軽地域の伝統的人形劇であり、約1世紀にわたって相伝されてきました。現在の保持者三代目木村巌氏は、中泊町若宮(竹田開拓)在住で、二代目木村幸八氏ほかのもとで修行を続けてきました。演目構成ほか随所に津軽の風俗が取り入れられるなど、民俗芸能として稀少な存在である点が高く評価されました。

「西願寺青玉」
「阿弥陀如来像貞伝金仏」
「津軽伝統 金多豆蔵人形芝居」
2009/3/13

謎の遺物−錫杖状鉄製品と提子2−!

続いての謎の遺物は、やはり平成元年(1989)平安時代の竪穴建物跡04号覆土より出土した1点の銅製品です。緑錆に覆われた奇妙な銅製品は、浅い樋状の部分と、三環状の部分が折り返されたように繋がっており、後者の中程にはひとつの孔がうがたれています。いろいろな角度から観察してみましたが、県内に類似の資料は見あたらず、そもそもこれが破片なのか、それとも完結した資料なのかも判然としません。報告書には、当然のように「用途不明銅製品」という名称で記載されました。

それから10数年の月日が過ぎ去り、「用途不明銅製品」のまま展示されていましたが、ある日来館した五所川原市教育委員会榊原滋高氏に、何気なく期待もせず「こんなの見たことある?」と尋ねたところ、大分形状は異なるものの十三湊遺跡の出土遺物に似たような資料があるとのこと。

内心驚きながらも詳細をうかがうと、それはお酒を温める鍋の一種「さしなべ」というものではないかとのことでした。、中里城遺跡出土のものは潰れていますが、本来は樋状の部分と、厚手の三環状の部分が垂直になって注口を構成し、後者の孔は吊手を差し込むためのもの・・・といったような説明を聞いているうちにおぼろげながら全体の形状が浮かび上がってきました。

ただし中世に属する十三湊遺跡出土資料とはやや様子が異なるとの指摘もあったので、念のため奥州平泉氏の拠点柳之御所遺跡調査の担当者であった羽柴直人氏や、滝沢村埋蔵文化財調査センター井上雅孝氏をはじめとする県内外の方々に見ていただきましたが、榊原さんの見立て通り「さしなべ(ひさげ)」で間違いないだろうと太鼓判を押されました。ここにようやく「用途不明銅製品」の正体が明らかとなったわけです。

「さしなべ」は、長柄がついた「銚子(さしなべ)」と弧状の吊手がついた「提子(ひさげ)」の2種類あるようで(相原康二 2000 「陸前高田市竹駒町軍見洞遺跡出土の青銅製銚子(さしなべ)について」岩手考古学12)、中里城遺跡出土のものは後者に相当しそうです。

中里城遺跡出土の提子が、古代のものか中世のものかは出土状況からは判断がつきません。というのは出土した竪穴建物跡04号覆土からは、中世陶磁器も出土しているからです。また青森県内では殆ど古代の提子の出土例がありませんが、近年中里城遺跡同様の壕を巡らせた集落である八戸市林ノ前遺跡から、提子の吊手金具が出土しました。もし中里城遺跡から出土した提子が古代のものだとすれば、非常に貴重な出土例といえそうです。

ところで最近博物館に、提子と考えられる資料が寄贈されました。寄贈者によればお歯黒用の銅鍋で、三足付片口の鍋に吊手が付いています。この資料の注口部分はやや細身であるものの、中里城遺跡出土の提子とそっくりです。古代あるいは中世のなかさとの人々は、このような提子で熱燗を楽しんだのでしょうか。

報告書掲載時の銅製品
中里城遺跡出土の提子
博物館所蔵の提子(注口部分拡大)
博物館所蔵の提子(お歯黒用)
2009/2/5

謎の遺物−錫杖状鉄製品と提子1−!

遺跡の発掘調査をすると、多くの場合遺物が出土します。そのなかでも、土器や石器ほか、土製や石製の道具など本来の形状を保っている遺物については、使用時の痕跡、歴史史料や近現代の民具などとの比較によって、ある程度機能・用途を推定することができます。一方、破損や摩滅あるいは経年変化等により原形を失っている遺物、あるいは「第三の道具」などと称される技術や生産に直接関わらない祭祀具などの遺物は、比較対象が残っていないかぎり、その使用法は想像の域を出ないことになります。

また単純に類例の少なさに起因する認識不足や、発掘時は未知であったことに由来する用途不明遺物ももちろんあります。今回は、そうした諸々の理由によって、発掘調査時には用途が想像だにできなかった謎の遺物についてご紹介します。

中泊町中里地区の中心部丘陵に位置する中里城遺跡は、縄文時代・平安時代・室町時代・江戸時代の遺構遺物が検出された複合遺跡ですが、主体は集落として利用された平安時代と、城館として利用された室町時代になります。昭和63年(1988)より平成9年(1997)まで断続的に発掘調査が行われ、多数の遺物が出土しました。

その中には当然、用途が不明な遺物が含まれますが、とくに担当者泣かせなのが金属製品です。殆どが破損しているうえ、錆によって原形を留めないものが多いからです。また土器や石器ほどには研究が進んでいないといった状況もあるでしょう。

平成元年(1989)平安時代の竪穴建物跡03号近辺から出土した2点の鉄製品もそうした遺物の一つでした。分厚い錆に包まれたその鉄製品は、当初は同じ種類の物だとさえ分からず、報告書では片方のみを三足状を呈する用途不明鉄製品と記載しました。報告書刊行後しばらく経ってから、博物館展示用に軽く錆を落としてみると、三足状に見えていたのは、実は棒状の柄と、そこからあたかも山羊の頭部のように二股に分かれた部分であることが判明しましたが、用途は相変わらず分かりませんでした。

それからまたしばらく経って、これらが「錫杖状鉄製品(しゃくじょうじょうてっせいひん)」などと呼ばれる遺物だと理解したのは近年のことです。平成7年(1995)八戸市上七崎遺跡の報告書が刊行され、壕切によって区画された平安時代の集落から、「杖頭状鉄製品」という特異な形状の鉄製品2点が、ほぼ完全な状態で出土したことが明らかになるとともに、過去にも蓬田村蓬田大館遺跡あるいは六ヶ所村弥栄平(4)(5)遺跡から出土していることがわかりました。

その後も新発見や再発見が相次ぎましたが、井上雅孝氏の広範な研究によって、これらの鉄製品は「錫杖状鉄製品」と位置づけられ、神仏習合の要素をもった雑密系の祭祀具の可能性があり、古代の青森・岩手両県を中心に約60点の出土例があることが明らかとなりました(井上雅孝 2002「錫杖状鉄製品の研究―北東北における古代祭祀具の一形態―」岩手考古学第14号,井上雅孝 2004「錫杖状鉄製品の研究(2)―分布に関する諸問題―」岩手考古学第16号)。

これらの過程の中で、中里城遺跡出土の用途不明鉄製品が、錫杖状鉄製品であり、現在のところ最北端の出土例となる事が明らかとなりました。昨年度遅ればせながら保存処理に出し、より詳細に細部が観察できるようになりました。

2点とも下半分は欠損していますが、頭部の状態は良好で、頭部に取り付けられたリング(鉄輪)も複数確認することができます。本来は、リングに鉄鐸という鈴状のものが取り付けられ、振ることによってシャカシャカという音を出したと考えられます。

用途についてはいまだ確定していませんが、古代の中里城集落に鳴り響く様子が浮かび上がります。

報告書掲載時と博物館展示時の鉄製品

保存処理後の錫杖状鉄製品
鉄輪部分(黄色破線部)
錫杖状鉄製品の構成(井上雅孝 2004より転載)
2009/1/14

深郷田遺跡出土資料寄贈!

このほど深郷田遺跡から出土した土器・石器など229点が博物館に一括寄贈されました。寄贈者は深郷田在住の阿部勝雄さん。以前にも深郷田遺跡出土の石鏃(石製のやじり)400点余りを寄贈いただきましたが、これらの資料は、阿部さんが畑などから長年にわたって収集したもので、とくに縄文時代中期(約四千五百年前)の円筒上層式土器(高さ約40p)・榎林式土器(高さ約35p)は、見事に復元され、そのまま展示できそうです。

中泊地域では、縄文時代中期の土器は珍しく、これまで博物館では青森市三内丸山遺跡出土の土器を借用して展示していましたが、今後は寄贈いただいた土器に置き換える予定です。

円筒上層式土器
榎林式土器
石鏃

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