2010/01/08 |
祝!津軽森林鉄道全通100周年!
博物館エントランスに展示されている一台のディーゼル機関車。ご存じの方も多いと思いますが、木材を運搬する「津軽森林鉄道」で用いられたものです。昭和42年(一九六七)同鉄道廃止後、青森市眺望山自然休養林に留置されていた同機関車は、大規模な修復を受けた後博物館に納められ、林業のまち「中泊」のシンボルとして来館者を迎える大役を果たしています。 本州北端に位置する津軽半島は、三大美林のひとつ「青森ヒバ」の産地ですが、ヒバの活用は困難を極めていました。交通が未発達であり、木材の輸送も藩政時代さながらの管流(川流し)や雪橇、馬(牛)車など人畜力に依存していたためです。 |
そうした中「津軽森林鉄道」が計画されます。明治39年(1906)着工、三年後の明治42年(1909)青森・蟹田間で部分運行を開始します。翌43年(1910)には、青森・蟹田・今泉・中里・金木・喜良市間全線の開通を迎えます。轟音を上げて通り過ぎる蒸気機関車は、近代化の象徴であり、林業のみならず地域社会を取り巻く環境を一変させました。
奥津軽の歴史の転換点となった「津軽森林鉄道」の全通からちょうど一世紀。廃線跡の一部は、一般道や林道として現在も活用されています。来し方百年を振り返りながら、廃線跡を辿ってみてはいかがでしょうか。 |
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2009/12/05 |
またまた発見!9体目の「貞伝仏」!
このたび中泊町としては9体目となる「貞伝仏」が新たに発見されました。今春西山さん(小泊)所有の7体目の「貞伝仏」が町有形文化財に指定されて以来、数ヶ月で2体が発見されたことになります。所有者は五林在住の今さん。先祖代々伝わる仏像を博物館に持参し、貞伝仏であることが確認されました。金彩されていますが、寸法・背面の刻書などからみてまごう事なき「貞伝仏」です。
「貞伝仏」は、浄土宗本覚寺(今別町)第五世住職貞伝上人が、江戸中期に製作した小仏です。上人の事績を記した「貞伝上人東域念仏利益伝(『今別町史』)」によれば、享保12年(1727)上人は、古金物など700貫を募って「青銅塔婆(県重宝)」を建立しました。さらに余った地金で、享保15年(1730)長さ一寸二分の阿弥陀像一万体を鋳造し、弘前市誓願寺本堂復興のため、浄財とひきかえに信者に与えたとされます。
配布地の弘前で12体しか確認されていない「貞伝仏」が、弘前から十里以上離れた中泊に9体も遺存しているのは大きな謎といえるでしょう。 |
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2009/11/01 |
小学校来館&中里中職場体験&中里高校インターンシップ!
秋は、町内各学校の来館ラッシュ。まとめてお伝えします。
◆中里・小泊・富萢小学校来館!
9月〜10月、中里・小泊・富萢(つがる市)小学校が本館・今泉分館を訪れ、むかしの道具について学習しました。道具の名称や、使われた時代を調べたほか、農機具などを実際に動かし、現在の道具との違いなどを体験しました。 |
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中里小は2学級同時に見学 |
真剣に見学する児童 |
水の運搬体験 |
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水汲みポンプもはじめて体験 |
レコードの音に耳をそばだてる小泊小児童 |
蚊帳には興味津々 |
◆中里中学校職場体験!
9月下旬、毎年恒例の中里中学校職場体験が行われ、博物館にも2名の生徒が訪れました。今年夏に行われた坊主沢遺跡発掘調査で出土した遺物の洗浄や注記(出土位置を遺物に転記する)・拓本(遺物の文様を墨で写し取る)、写真撮影など、普段目にする機会の少ない業務を体験しました。 |
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土器片に出土情報を転記する注記作業 |
土器の文様を写し取る拓本作業 |
土器の撮影作業 |
◆中里高校インターンシップ!
9月上旬、中里高校2年生によるインターシップ(職場体験)が行われ、6名の生徒が博物館の仕事を体験しました。三日間にわたって、展示室清掃・ライト交換といった日常業務や、土器洗浄・注記作業、展示マップ制作などを行いました。
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展示室のライト交換 |
土器の洗浄作業 |
分館の整理作業 |
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